尾張の城036 ▽
堀尾屋敷 0585 |
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A丹羽郡大口町堀尾跡1丁目 B八剣神社 東名高速道の小牧インタを下り、国道41号線を犬山方面に出ます。400m先の村中の信号で左折し国道155号線に入ります。2.5km先の御供所の信号を右折します。600m先の左手が八剣神社でここに碑と説明板があります。 住所がつでに堀尾跡1丁目だもんな・・・。遺構はないようですが、地名には名残を留めていると言うことのようです。 |
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C平城 F遺構等:碑・説明板 G室町期/堀尾氏 H満足度:凸 堀尾邦経という人が始めて堀尾氏としてこの地に入ったようで、これ以後代々堀尾氏の領地であったようです。邦経から十七代目の秦晴は岩倉織田氏の重臣であったようですが、岩倉織田氏が織田信長に滅ぼされた以後は信長に従ったようです。秦晴の子が吉晴(茂助)で、吉晴は木下(豊臣)秀吉に従い、数々の戦功をたてました。天正十一年(1583年)に若狭高浜で一万七千石の大名になり、天正十五年(1587年)には近江佐和山四万石となりました。天正十八年(1590年)の小田原の役後に遠州浜松十二万石となりました。関が原の戦いでは吉晴は隠居の形でしたが、子の忠氏が東軍に与し、戦後、出雲富田二十四万石が与えられました。慶長九年(1604年)に忠氏が急死し、忠晴が継ぎますが幼少のため、吉晴が後見し、慶長十六年(1611年)に松江城を築城しましたが、同年に吉晴は死去しました。寛永十年(1633年)には忠晴も死去し、無嗣改易となりました。 |
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J訪城:2003/06 | |||
南外山城 0621 |
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A小牧市南外山 B八幡神社 名古屋市内から来ると、国道41号線の下小針中島の信号を右折します。1.8km先の県道102号線との南外山の信号を直進します。100m先を左折し、クランク状に進み妙蔵寺前を越え、100m先の妙楽寺、手前の八幡神社一帯が城跡です。神社に碑があり、土塁状の盛り上りがあり、鳥居前は堀跡のようです。 |
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C平城 F遺構等:堀・土塁・石碑 G鎌倉期?/堀尾氏 H満足度:凸 築城年代は定かでは無く、史料に堀尾孫助が居城とあるようです。正中年間(1324〜26年)に廃城になっているようです。 |
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J訪城:2003/07 | |||