尾張の城024 ▽
小山城 0603 |
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A一宮市千秋町小山 B西恩寺 国道22号線の富士3の信号から国道155号線に入り、2.8km先の佐野の信号で右折し県道155号線に入り、300m先の千秋町天摩の信号で左折、青木川の千秋橋を越えてすぐに右折した先の西恩寺が城跡とされます。周囲の字名が城でした。 |
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C平城 F遺構等:なし G戦国期/織田氏(佐藤氏) H満足度:凸 天正十二年(1584年)の小牧長久手の戦いの際、織田徳川連合軍の防衛ラインとひとつとして織田信雄方が構築し信雄の家臣の佐藤四郎右衛門が入りました。 |
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J訪城:2003/06 | ||
下奈良城 0605 |
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A一宮市春明南本郷 国道22号線の常願通り7の信号から国道155号線に入り、3.5km先の加納新出の信号で左折し県道154号線に入り、600m先で左折し左折し300m先の春明東の信号で右折、100m先で左折し、150m先で左折した周辺が城跡です。周囲は普通の住宅地で、とても城跡という感じは無いです。石垣が残ると資料にありましたがどれのことだか・・・? |
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C平城 F遺構等:なし G戦国期/羽柴氏方 H満足度:凸 小牧長久手の戦いの際の羽柴(豊臣)秀吉方の砦のひとつです。 |
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J訪城:2003/06 | ||
竹腰城(たけのこし) 0608 |
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A稲沢市竹腰西町 国道155号線の西島の信号で県道133号線に入り、800m先の新幹線ガード下の信号で左折し新幹線沿いを進みます。300m先を左折した竹腰の集落の北側の畑の中に説明板がポツンと立っています。畑は若干微高地です。 |
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C平城 F遺構等:説明板 G戦国期/祖父江氏 H満足度:凸 祖父江氏は祖父江城を居城としていました。祖父江信勝が慶長五年(1600年)の関ヶ原の合戦では福島正則に従い、その功で竹腰を加増されて城を築きました。慶長十九年(1614年)の大坂冬の陣の際、大坂方に内通したとして改易となり、竹腰城は廃城となりました。 |
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J訪城:2003/06 | |||