尾張の城020  

                                                                            

一宮城  0586

A一宮市本町
B銀行の一宮支店前  C平城
一宮駅から県道190号線を300mほど行った本町の信号の手前、銀行前に城址碑があります。

F遺構等:碑・説明板 
G戦国期/関氏 
H満足度:凸
関小十郎右衛門共成(長安)の居城とされます。

J訪城:2003/06
  
稲島城  0587
A稲沢市稲島東6丁目  C平城

国道155号線を一宮市中心部から来ると西島の信号で左折し、県道133号線に入ります。2.2km先の天地達松の信号で左折、県道14号線に入ります。400m先の石橋南の信号で右折します。2km先が稲島の信号でこの左手が城跡のようです。稲島の信号を右折し県道65号線に入り、100m先で左折します。この一帯が城跡で、城址碑は昔は田んぼの中にあったようですが、今は土地改良碑の横に移動しています。

F遺構等:石碑
G室町期/久田氏 
H満足度:凸
久田弥四郎の居城とされます。

J訪城:2003/06
   
苅安賀  0588 
A一宮市大和町苅安賀
B苅安賀自動車学校フェンス沿い  C平城

国道155号線を一宮市中心部から来ると東海北陸道を一宮西インタそばでくぐります。苅安賀の信号の次の信号を左折し名鉄苅安賀駅方面に進みます。すぐに苅安賀自動車学校で、このフエンス沿いに城址碑があります。

F遺構等:碑 
G戦国期/浅井氏 
H満足度:凸
築城時期は不明です。史料では近江の浅井氏一族である浅井新八郎高政が築き、その子・田宮丸長時の二代の居城とあります。田宮丸は織田信雄に仕えたが、天正十二年(1584年)に秀吉の計略にかかり討たれて落城したとされます。その後、信雄の家臣・森久三郎が城主となったとされます。
J訪城:2003/06