尾張の城013 

                                                                               

横須賀城・横須賀御殿/  1024
横須賀城あたり(中の池公園)

横須賀御殿の説明板
A東海市高横須賀町・中ノ池6丁目  B中の池公園   国道155号線の横須賀高校北西の信号を南へ、大坪の信号から中の池の団地に入ります。

A東海市高横須賀町浜御殿  B愛宕神社  国道155号線と国道247号線の交差点、高横須賀の信号から国道155号線を常滑方面へ200m先を右折、左手が愛宕神社、右手の側道(公園)に説明板が立っています。


C丘城・平城(横須賀御殿)
F遺構等:説明板・碑(横須賀御殿)
G江戸期/徳川氏(横須賀御殿)
H満足度:凸


J訪城:2005/09 2023/10

/ ←横須賀城

/ ←横須賀御殿

横須賀城:詳細不明
横須賀御殿:寛文四年(1664年)、尾張徳川二代藩主の光友の別邸として建てられました。 正徳五年(1715年)、光友の死去後に取り壊されましたが、天明五年(1785年)、尾張藩の代官屋敷が置かれました。

横須賀御殿の碑と碑の説明板
木田城  1023
城跡遠景

A東海市大田町城山
B天尾神社
国道155号線の横須賀高校北西の信号を北へ400m先の城の腰の信号を右折、右手の丘が城跡です。

C平城
F遺構等:郭? 
G鎌倉期〜/荒尾氏 
H満足度:凸

鎌倉末期に荒尾氏が居城としました。

J訪城:2005/09
 
天尾神社
   
大脇城  0565
城址碑と説明板
A 豊明市栄町
B伊勢湾岸自動車道豊明インタ−

C平城
F遺構等:碑・説明板 
G戦国期/梶川氏 
H満足度:凸

梶川五左衛門秀盛の居館と言われ、秀盛は織田信長、信雄に従い、秀吉の朝鮮出兵の際には池田輝政に属しましたが、朝鮮で戦死しました。<現地案内板より>
J訪城:2005/11