尾張の城012 ▽
梶川高盛邸 奥村永福生誕地 1456 |
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A 一宮市奥町 B貴船神明神社 C平城 尾西インタから県道146号線を進み1.5Km先の名鉄尾西線奥駅を越えてすぐで県道148号線が左折のところを右折し踏み切りを渡ります。400m先の信号を左折し50m先の右手が貴船神明神社です。神社は結構立派な社殿です。入るとすぐの右手に奥村永福生誕地碑があり、本殿裏手西側に梶原高盛邸の碑が立っています。 |
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F遺構等:石碑 G戦国期/梶原氏 H満足度:凸 梶川高盛は最初、織田信長の家臣の水野信元の配下で、その後に佐久間信盛の与力となり、天正八年(1580年)に佐久間父子が信長に追放されてからは信長の直臣となりました。本能寺の変後は織田信雄に従ったとされます。小牧長久手の戦いの時の奥城城主です。 奥村永福は前田利家の家老で、佐々成政の末森城攻撃の際、この城の守将として城を守り通したことは有名です。 |
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J訪城:2006/05 | ||||
坪内城 1457 |
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A一宮市(尾西)開明町中屋敷 B観音寺 C平城 尾西インタから県道146号線を進み名鉄尾西線開明駅を越えてすぐの県道14号線に左折します。300m先の開明南の信号を右折し500mほど進みます。左折し路地を右折すると観音寺で、これの北側100mの個人宅が城跡です。城跡は周りの土地より一段高く、北側は最近道路が付けれて綺麗になっていましたが、堀跡があったようです。周囲の住所は城跡のあるところが字中屋敷で、周囲に東屋敷、北屋敷という字名になっていて、道が円を描くように集落を巡っています。城道の名残のようでもあり、堀跡が道になったようにも感じられます。 |
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F遺構等:石碑 G戦国期/坪内氏 H満足度:凸 坪内叉五郎の居城と伝えられます。 |
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J訪城:2006/05 | ||
野府城 0630 |
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A一宮市(尾西)開明町 B開明小学校 C平城 名鉄尾西線開明駅北側、県道146号線の北側 (東海北陸自動車道尾西インタの西側)の開明小学校が城跡です。門の側の体育館寄りに城址碑が立っているのみです。 |
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F遺構等:石碑 G戦国期/織田氏 H満足度:凸 織田信長の弟の織田信治の居城です。 信治は元亀元年(1570年)に近江坂本で討ち死にしています。 |
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J訪城:2004/06 | |||
吉藤城 1458 |
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A一宮市(尾西)吉藤・明地 B C平城 東海北陸道一宮西インタを下り、すぐの県道14号線毛受の信号を左折し県道145号線に入ります。道なりに2.7Km進み、東五城の信号で左折し県道513号線に入ります。1.2Km先で名神高速のガードを、さらに、200m先で新幹線のガードをくぐります。新幹線のガードをくぐって100mほどで右折し200M先の田んぼの中に城址碑が立っています。 |
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F遺構等:石碑 G戦国期/遠藤氏 H満足度:凸 織田信長の家臣の遠藤三郎右衛門の居城とされます。 |