尾張の城008 ▽
鯏浦城(うぐいうら) 0564 |
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A弥富市鯏浦町(旧:海部郡弥富町) B薬師寺 C平城 東名阪自動車道の弥富インタを下りて左折し国道155号線に入ります。東名阪のガードを越えて100mで左に側道に入り、西中地の信号で右折し国道をくぐります。600m先で道が大きく左にカーブするところの右手が薬師寺で、カーブが終わってすぐ斜め右に入り用水路沿いに進み300m先で右折したところが寺です。あるいはJR関西本線弥富駅前右手に100m行き、左折して踏み切りを渡り500m先を左折し用水路沿いです。境内には城址碑と樹齢600年と言われる楠があります。この木は信長と服部党・一向宗の抗争を見ていたんでしょうね。 |
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F遺構等:碑・説明板 G戦国期/織田氏 H満足度:凸 永禄八年(1565年)に服部党・一向宗を攻めるため織田信長が築き織田信興(信長の弟)に守らせたとされますが、服部左近将監の居城とも伝わるようです。元亀元年(1570年)に信興が小木江城(愛西市(立田村)森川)で服部党・長島一向宗に攻められ敗死しました。信長は天正二年(1574年)に長島一向宗を壊滅させました。 |
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J訪城:2004/07 | |||
早尾東城 0561 |
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A 愛西市早尾 (旧:海部郡立田村) B常徳寺 C平城 東名阪自動車道の弥富インタを下りて右折し国道155号線を5Km進みます。町方新田の信号を左折して県道79号線に入ります。800m先の町方新田新西馬の信号えお直進して県道120号線に入ります。700m先右手が常徳寺です。 |
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F遺構等:碑・説明板 G戦国期/橋本氏 H満足度:凸 室町中期に大橋源三右衛門が築城したとされます。大永四年(1524年)に勝幡城主織田信定に攻められ落城しました。その後、本能寺の変(1582年)後に織田信雄に属する橋本大膳が居城しました。大膳は片原一色城(稲沢市)の城主橋本伊賀守道一の弟です。大膳はこの城から矢合城に移り廃城になりました。 |
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J訪城:2002/07 | ||
勝幡城 0607 織田信長誕生の地? |
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A稲沢市平和町六輪 (旧:中島郡平和町) B C平城 東名阪自動車道の弥富インタを下りて右折し国道155号線を5Km進み町方新田の信号を越え、さらに2Km先の下起南西の信号(六輪の信号のひとつ手前)を右折し県道126号線に入ります。1.2Km先の東城橋西の信号を右折し三宅川沿いを300m進み、次の信号で右折しさらに300m進んで嫁振橋で日光川を越えるあたりが城跡です。 |
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F遺構等:石碑 G戦国期/織田氏 H満足度:凸 永正元年(1504年)頃、織田信定が築城したとされます。 信定の子の信秀は那古野城を今川氏豊から奪い居城を移しました。信秀の子の信長は那古野城で生まれたという説と勝幡城で生まれた説があります。 |
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J訪城:2004/07 | |||
石田城 1022 |
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A愛西市石田 (旧;海部郡立田村) B玉泉寺 C平城 国道155号線の下新田を西に入ります。1.4Km先の左手が玉泉寺でその西側が城域です。資料では堀跡が残るとありますが、よく判りませんでした。 |
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F遺構等:堀? G戦国期/−−氏 H満足度:凸 詳細不明 |