尾張の城007  

                                                                               

山崎城  0535
安泰寺

山崎城表示板
A 名古屋市南区呼続元町16 B安泰寺  C丘城 

名古屋中心部より名古屋高速大高線高架下を国道1号線に向かって下ってきます。地下鉄堀田の信号を左折し妙音通を進み1.4Km先の新瑞橋の信号を右折し環状線に入ります。駈上1丁目の信号を右折しS電気工業沿いを進みます。500m先を右折し坂を登ると安泰寺です。 遺構らしきものはありませんが寺は丘の上という感じで周りより10mほど高台にあります。西側の法泉寺との間に名鉄線が走っていますが、ここは切通しのような箇所で昔の堀切の跡のようです。

F遺構等:無し  G戦国期/佐久間氏  H満足度:凸  築城時期・築城者は定かではありません。 永禄三年(1560年)頃は信長の小姓の加藤弥三郎が在城するも桶狭間にて討死、その後は御器所西城の佐久間信盛の持城となりますが、天正八年(1580年)に信盛が信長に追放され、城は廃城になったとされます。

J訪城:2004/05
  
戸部城  0536
戸部城址碑と戸部新左衛門の碑
A 名古屋市南区戸部町3丁目 B  C平城 

国道1号線の前浜通りの信号で左折し環状線に入ります。800m先の笠寺西門の信号で左折し県道222号線に入ります。200mで名鉄線を越え、さらに200m先左手に幼稚園があります。この左手路地に城址碑と城主碑がありますが、一方通行になっていると思いますので注意ください。本来、城域はこの碑のあるところから西側ということらしく、現城下町周辺ということのようで、この碑もそちらから移したものだという事です。戸部町の南側は松城町、西側は城下町・・・城に関わる町名だな。

F遺構等:城主碑  G戦国期/戸部氏  H満足度:凸  今川方の戸部新左衛門政直の居城でした。 桶狭間の戦いの四年前の弘治二年(1556年)に今川義元は戸部新左衛門が織田信長に内通したと疑い切腹させたとされます。



J訪城:2004/05
   
星崎城  0528 
A 名古屋市南区本星崎町本城 B笠寺小 C平山城

国道1号線の本地通3丁目の信号で左折し坂を登ったところが笠寺小です。笠寺小のグランド西側に秋葉神社があり、ここにも城址碑があるようです。

F遺構等:碑・説明板  G戦国期/岡田氏  H満足度:凸  築城年代・築城者は不明ですが、史料には治承年間(1177〜1181年)に山田重忠が築城ともあるようですが定かではないようです。戦国期に入り、岡田直教が在城し織田信秀に属し、その後は子の直考、その弟の善同と続き、天正十二年(1584年)には山口重勝、ついで重政が城主となりましたが、天正十六年(1588年)に重政が伊勢の茂福に移り、廃城になりました。 なお、岡田直孝は織田信雄の家老で、小牧・長久手の戦い直前に信雄に秀吉に内通したとして殺害された三家老の一人です。   <現地案内板より>

J訪城:2004/05