尾張の城01  

                                                                               

小幡城  0522

② 名古屋市守山区小幡西城   ④丘城  
名古屋市中心部より国道19号線で北上し、東大曽根4丁目の信号で県道15号へ直進します。次の東大曽根の信号で右折(大曽根駅前)・M電機前を過ぎ矢田町10の信号で左折、県道15号線(瀬戸街道)を進みます。小幡宮の信号で左折し県道202号線を進みます。松葉の信号を過ぎて200m先の路地をを左折し150m程の一帯が城跡です。住宅の一角 の路地、駐車場の隅に案内板があります。近くに土塁の痕跡があるとのことですがわかりませんでした。

⑦遺構等:説明板 (土塁?)  ⑧戦国期/岡田氏  ⑨満足度:凸   
大永二年(1522年)に織田信安の家臣岡田与七郎重篤が築城しました。天文四年(1535年)の松平清康が織田信秀討伐のため尾張に侵攻しましたが、守山城にて近臣の阿部弥七郎に殺され(守山崩れ)、これ以後、小幡城は信秀の弟の信光が居城しましたが信光死去後廃城となりました。天正十二年(1584年)の小牧長久手の戦いに際し家康が城を修築し家臣の本多広孝が守備しました。小牧長久手の戦いの後は廃城となりました。

⑪訪城:2003/03
  
下社城  0524

② 名古屋市名東区陸前町 ③明徳寺  ④丘城   
東名阪上社インタから国道302号線を南下、県道60号線を横断し700m先の陸前町の信号で左折、三本目の路地を左折した正面のお寺が城跡です。お寺は廻りよりさらに小高い感じです。ここは、 柴田勝家の誕生の地です。しかしながら、城跡は城址碑と勝家誕生の碑があるのみです。


⑦遺構等:土塁  ⑧戦国期/柴田氏  ⑨満足度:凸 
築城時期は定かではありません。柴田氏は斯波氏の一族で斯波義勝が越後新発田を領して柴田氏と名乗ったものです。勝家は義勝の孫で享禄三年(1530年)にこの地に生れました。


⑪訪城:2003/03
   
志賀城  0516 
② 名古屋市北区平手町2丁目 ③志賀公園 ④平城
名古屋市内中心部より国道41号線を北上、北区黒川本通り5の信号で左折し500m先の志賀公園の真ん中に城址碑があります

⑦遺構等:碑・説明板  ⑧戦国期/平手氏  ⑨満足度:凸

平手政秀の居館とされます。政秀は織田信秀に仕え信長の守役をつとめたが、天文二十二年(1553年)正月十三日に信長に諌言を残して自刀しました。<現地案内板より>

⑪訪城:2004/07