西三河の城014  

                                                                               

鷲塚城  0978
尾城公園
A 碧南市尾城町2丁目 B尾城公園  C丘城
国道23号線の榎前町井杭山の信号を豊橋方面からですと左折し県道45号線に入ります。5Km先の城山町の信号で斜め左に入ります。一つ目の信号を左折し300m先の信号を右折し、100mほどで右折した先に尾城公園(おじろ)があります。城跡はこの公園ではなく東中学校周辺のようですが遺構はないようです。城山町・尾城(おじろ)町という知名だけが城を想わせるのみです。
F遺構等:なし  G戦国期/水野氏  H満足度:凸
永禄六年(1563年)に刈谷城主の水野信元と対立した弟の藤十郎忠重が築城したとされます。

J訪城:2006/02
  
大浜陣屋  0979
陣屋碑
A碧南市羽根町1丁目  B陣屋公園  C丘城
別名:羽城
国道23号線の榎前町井杭山の信号を豊橋方面からですと左折し県道45号線に入ります。6Km先の新須磨の信号で左折し県道43号線に入ります。800m先の羽根町を過ぎて100mの右に信用金庫のあるところで逆に左の路地に入ります。200m行った先で左折し100m行った先に小公園(陣屋公園)があります。路地には車1台ギリギリの道幅です。県道に止めて歩いた方が無難です。陣屋跡には石碑があるのみです。この周辺には戦国期に大浜城があったようですが場所が特定されていませんが、大浜陣屋跡にあったとも言われます。この地は近くに称名寺という松平氏に縁のある寺があり、松平氏関連の墓もあるようです。天正七年(1579年)、徳川家康に謀反を疑われた子の松平信康は岡崎城からいったん大浜城に移され、その後、堀江城、二俣城と移されて二俣城で切腹します。大浜城に移されたのは称名寺があったからとされます。

F遺構等:碑  G江戸期/水野氏  H満足度:凸

明和五年(1768年)に旗本水野忠友が若年寄に出世して1万3千石で大浜に陣屋を構えました。安永六年(1777年)には将軍・家治の側用人となり、沼津に移ったため大浜藩は廃藩になりました。ただその後も水野氏は沼津藩として三河にも領地を持ち大浜に陣屋を構えていました。さらに慶応三年(1867年)には菊間藩領となり菊間藩の陣屋となりました。その後は役場として建物は明治20年まで使われていたようです。


J訪城:2005/08
   
長田屋敷  0980 
宝珠寺と永井直勝生誕地碑

西方寺
A碧南市音羽町1丁目  B宝珠寺・西方寺のそば C平城
国道23号線の榎前町井杭山の信号を豊橋方面からですと左折し県道45号線に入ります。6Km先の新須磨の信号で左折し県道43号線に入ります。800m先の羽根町を過ぎて500mの右手西方寺前で反対側の左の路地に入ります。200mほどで宝珠寺の駐車場です。

F遺構等:碑  G戦国期/長田氏  H満足度:凸

長田重元の屋敷とされ重元の八男の直勝は家康に属し名前を永井と改めました。

J訪城:2005/08