西三河の城006

                                                                               

本郷城 0569
城址碑
A 岡崎市東本郷北浦 B阿弥陀堂  C平城

東名高速道岡崎インタより国道1号線で岡崎市内を抜け知立方面へ進みます。矢作川を渡って1.2Km先の安城街道入口の信号を左折し県道47号へ入ります。1.2Km進むと県道26号線との交差点の東本郷の信号ですが、この信号の手前150mの県道の右カーブのところを左折し路地に入ります。200mほど行くと左手に阿弥陀堂がありその前に石碑があります。

F遺構等:碑  G戦国期/植村氏  H満足度:凸

土岐氏の一族が遠江上村に移り植村氏を称しました。明応二年(1493年)に(土岐源三郎)持益が北本郷村川原に居住しました。子の新六郎氏義は東本郷村北浦へ移り、氏義の子の栄安と共に松平清康に仕えました。天文四年(1535年)に清康が守山で阿部弥七郎という家来に殺されると、栄安はその場で弥七郎を殺し主君の仇を討ったとされます。また、天文十八年(1549年)に松平広忠が城内で近臣の岩松八弥に殺された時も、逃げる八弥を討ち取ったとされます。家政が徳川秀忠に仕え、大阪の陣で活躍するなどで大和高取二万五千石を与えられました。

J訪城:2005/03
上宮寺(佐々木城) 0570
上宮寺
A 岡崎市上佐々木町 B上宮寺  C平城

東名高速道岡崎インタより国道1号線で岡崎市内を抜け知立方面へ進みます。矢作川を渡って1.2Km先の安城街道入口の信号を左折し県道47号へ入ります。1.2Km先の東本郷の信号で左折し県道26号線に入ります。1.2Km先昭和町北の信号で左折し県道48号線に入ります。600m先の上佐々木の信号を右折します。300m程南下すると右手に上宮寺があります。上宮寺は今は近代的な寺となっています。山門脇に説明板があるのみです。

F遺構等:説明板  G戦国期/松平氏〜一向宗  H満足度:凸

本証寺、勝蔓寺と合わせて三河三ケ寺と称します。永禄六年(1563年)から翌年にかけて、三河支配の確立しようとした家康は、元々、寺に認められていた守護不入の特権と対立し、これにより三河一向一揆が勃発しました。数ヶ月の戦いの後、大将である矢田作十郎は討死し、一揆軍は敗退して寺は破却されました。天正十三年(1585年)に再興がゆるされました。

J訪城:2005/03
下和田城 0571
常楽寺
大尾神社
A 岡崎市下和田神宮寺 B犬尾神社・常楽寺 C平城

東名高速道の岡崎インタで下り、国道1号線を安城方面へ向かいます。岡崎市内を抜け3Km程西進した八帖の信号を左折して国道248号に入ります。戸崎町の信号を右折して県道48号に入ります。900m西進してJRのガードをくぐり、JR羽根ガード西の信号で左折します。600m程進むと県道43号に入ります。2.1Km程南下した福岡郵便局前の信号を右折し、占部川を渡ってから300m程西進すると右手に犬尾神社、左手に常楽寺があり、寺が城跡です。

F遺構等:石垣?  G戦国期/松平氏  H満足度:凸

松平親忠の五男の親光の子の親生が在城したとされます。天文年間(1532〜1555年)は松平三左右衛門伴忠が城主だったようです。

J訪城:2005/03