西三河/ 久保城



ファイルNo0953

                            

@ くぼじょう 
  別名  宮崎城・稲荷屋敷

A住所:岡崎市石原町相野向
    旧:額田郡額田町石原相野向
 
B目標地点:宮崎小学校
C形式:丘城  D比高:30m 
E現況:企業研修所・山林

F遺構等:郭・土塁・堀切・模擬櫓・説明板
G時代/人物: 戦国期/奥平氏 
H満足度:
凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  橋の袂から5分


J撮影・訪問時期:2005年07月

  

道案内  

東名高速道音羽蒲郡インタを下り、国道1号線で右折し岡崎市内へ向かいます。4.7Km先の名鉄線本宿駅を越えたところの本宿町沢渡の信号を右折し国道473号線に入ります。6Km先の額田町月秋の信号で右折し県道37号線に入ります。7Km先明見集落を越えて、さらに1.2Km先宮崎集落を越えたところ左手宮崎小学校手前の信号で右折し男川を渡り、橋の袂すぐを徒歩で左方向に入り、沢を渡り20m先を右折して尾根へ登ります。この辺斜面が石垣になっていてまるで城郭遺構のように見えますが違うようです。尾根まで上がると尾根先端が企業の研修所ですがここが城跡です。県道沿い宮崎小前と城跡内模擬櫓に説明板が設置してあります。 <この研修所には県道37号線の宮崎郵便局付近で川を渡り中腹の道を進むと研修所の至る道がありますが、私は走ってみていないのでどんな道なのか説明できません。>
 
訪城備忘録

ちょうど、宮崎小学校の男川の対岸、男川がL字に蛇行し尾根が突出しているところに城跡はあります。城跡は企業の研修所になっていますが、この会社のご配慮か郭は当時の形状のまま使用されているようですし、模擬櫓も建ち、研修所の建物も城郭長屋風といった具合です、最後部の土塁と堀切も残されておりけっこう楽しめました。

現地案内板より
歴史

永正年間(1504〜1520年)頃、奥平貞昌にて築城されたとされます。元亀元年(1570年)に奥平諸将は久保城に集まり一族が武田氏方、徳川方に分かれて戦うことを密談しました。これを「久保城の密談」として伝わります。天正十八年(1590年)の関東移封で廃城となりました。

模擬城郭      研修所入り口冠木門風^^
模擬櫓
  

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