西三河/ 保久城



ファイルNo0949

        城址碑と切岸 

@ ほっきゅうじょう 
  別名  

A住所:岡崎市保久町市場
    旧:額田郡額田町保久
 
B目標地点:下山小学校・体育館
C形式:丘城  D比高:30m 
E現況:雑木林

F遺構等:郭・堀切・石碑(説明板)
G時代/人物: 室町期/山下氏 
H満足度:
凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  体育館駐車場から5分


J撮影・訪問時期:2005年07月

  

道案内  

東名高速道音羽蒲郡インタを下り、国道1号線で右折し岡崎市内へ向かいます。4.7Km先の名鉄線本宿駅を越えたところの本宿町沢渡の信号を右折し国道473号線に入ります。6Km先が額田町月秋の信号で、そこより国道473号線をさらに10Km進み山を越え桜形地区に入ります。桜形で県道35号線の交差点よりさらに国道473号線を3Kmほど山を登ります。小久田地区で県道331号線に左折します。3.5Km先で県道336号線と合流し、西へ県道331号線をあと900mほど進んだ右手に体育館、奥に下山小学校があります。ここへ右折し小学校正門で左折し体育館裏手に入ります。この先が城跡です。
 
訪城備忘録

体育館裏手の駐車場の端に城址石碑があります。遊歩道が続きますがこれは堀切のようです。主郭は石碑の裏手の台地ですが夏場であったため草木が伸びすぎていて何か遺構があるかは判別できませんでした。

堀切
歴史

山下義道は足利氏の臣として下野より三河に移り、子の義材がここに築城しました。義材の孫の重久は松平信光に1457〜1466年の間に攻められ保久城は落城しました。重久の子の重勝・重仲は築瀬と名前を改名し保久に留まりました。<現地案内板より>

        主郭       尾根側から堀切越に主郭を見る
  

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