西三河/ 足助 久木城



ファイルNo0755

  主郭

@ ひさぎじょう 
  別名  久木古屋敷

A住所:豊田市(足助町)久木町
B目標地点:
C形式:丘城  D比高:20m 
E現況:畑地・山林

F遺構等:郭・城主墓
G時代/人物: 戦国期/原田氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  10分

J撮影・訪問時期:2005年04月

  

道案内 

旧足助町中心部(香嵐渓)より国道153号線で北上、約5Km先(豊岡の信号より約1Km先)で左折し県道344号線に入り500m先右手久木町背後の丘陵が城跡です。
 
訪城備忘録
城跡遠征

小さな工場の横に細い道がありこれを登ります。登ると寺か修行道場のような施設があります。これの手前を左手(西側)に進みます。すぐに堀底道のような箇所に至りますが、この手前をさらに左手(西側)の細い道を進みます。200mくらい先が主郭と思われるところで、ここの中心に城主の墓があります。

城主墓
歴史

原田氏は平氏の支流で筑前国に住していたが、原田次郎左衛門種直は鎌倉幕府成立時に鎌倉にあり、筑前には帰らず三河久木に住したもので、その子孫が久木原田氏初代の藤左衛門種友となります。原田種友永禄四年(1561年)以降徳川家康に従い450石にてこの地を領します。元亀三年(1572年)の三方ケ原の戦いで討死したとのことです。二代原田藤左衛門種吉・三代藤左衛門種成は大阪・京都にて在勤し、種成死去で無嗣断絶となりました。<資料より>

  

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