西三河/ 渡城



ファイルNo0296

鳥居氏発祥地の碑がある

         城跡遠景(土塁)

@ わたりじょう 
  別名  −−−−−

A住所: 岡崎市渡町東浦 
B目標地点: 
C形式:平城  D比高:−−m 
E現況:宅地・田畑

F遺構等:土塁・石碑
G時代/人物: −−期/鳥居氏
H満足度:
凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  5分


J撮影・訪問時期:2004年04月

  

道案内  

岡崎城から国道1号線で西に向かい、矢作川を渡り矢作町加護畑の信号で左折し、県道44号線に入ります。800m先の矢作町橋塚東の信号で県道は斜め右ですが、斜め左に入ります。800m先、渡町大棚の信号で左折し矢作川の堤防方面に向かいます。渡上公民館で右折し600mほど進み左折し、少し路地を抜けた堤防近くに城跡はあります。<八幡宮・東海道本線沿いまで行くと行きすぎです。> (個人宅ですので、訪問にはマナーに注意下さい)
 
訪城備忘録

期待しないで訪問したのですが、個人宅をぐるりと巡る土塁が残り、こりぁいいものを見たつう感じです。高さ2mほどの土塁が北側、西側に特によく残ります。土塁の外側には水路がありますが、往時は堀があったんでしょうね。城址碑横に長島氏家譜という石碑がありました。そこには(要約)「仁安二年に熊野新宮別富十九代行範は平氏を拝領し、鳥居法眼と呼ばれた。行忠の代に故あって三河に移り、名を渡里傳内忠氏と改めた。八世忠景は渡利新左衛門と称して新田義貞に仕えるも、新田氏衰運の後、渡利村に戻り、鳥居藤左衛門と名を改めた。忠景七世の重央には男子が無く、伊勢長島城主福島家の弟の忠則を養子とし、後、長島性を名乗る」とありました。忠吉・元忠の頃がどの辺なのかよくわからん^^;;

城址碑
歴史

鳥居中務が熊野より移住し、城を築いたと伝えられます。子孫 伊賀守忠吉は岡崎城主松平清康・広忠に使え、今川氏支配時代の岡崎城にあって元康(家康)の帰還の時のために食料・武器・弾薬を蓄えたという逸話が残ります。また、鳥居元忠は関が原の戦い直前の伏見城の戦いで西軍に攻められ城代として奮戦・討死しました。

   土塁      鳥居氏発祥地碑
  

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