西三河/ 西広瀬



ファイルNo0234


                            主郭と土塁

@ にしひろせじょう 
  別名  西前城

A住所: 豊田市西広瀬町西前 
B目標地点:西広瀬小の東、飯野川沿い 
C形式:丘城  D比高:20m 
E現況:畑地・山林

F遺構等:堀・土塁・石碑・説明板
G時代/人物: −−期/佐久間氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  10分

J撮影・訪問時期:2003年07月

  

道案内  

豊田市中心部より国道153号線で北上し、平戸橋で県道11号線に入り矢作川沿いを進みます。県道350号線との交差点の西広瀬町の信号より手前、飯野川の橋の手前の路地を左に入ります。飯野川にかかり橋がまたあり、その手前川沿いを少し行くと城址碑と説明板があります。(対岸 宝積寺です)

訪城備忘録

城址碑のところより林に入ると尾根の鞍部を利用した大きな堀切を歩きます。城址碑とは反対側を左手に行くと、横堀形状のところにでます。堀は屈曲を伴い、堀底道のように見えます。主要部は大きな郭が上下段二つと繋ぎの帯郭一つで構成されており、主郭は端に高さ3mほどの土塁が横たわり、見応えのある土塁です。

主郭下の郭
歴史

佐久間氏がこの城を築きました。その後、三宅氏を経て、織田信秀家臣佐久間氏が在城した城です。前者佐久間氏は三河の土豪で、後者の佐久間氏は織田氏の家臣で両者は無縁と考えられるとの事です。 佐久間全考は家臣岩松弥八を差し向け岡崎城主松平広忠を刺殺したとされています。報復として松平氏よりの刺客が今度は全考を暗殺したとされています。天文二十二年(1553年)、佐久間長七郎は御船城主三宅氏に攻められ破れ城は三宅氏支配となります。永禄元年(1558年)には松平元康(徳川家康)が西広瀬城主佐久間氏を攻めたとされるので、この頃にはすでに織田家佐久間氏に城主は代わっていたものと考えられます。現在の遺構は天正の頃に改修された縄張りと考えられています。 (資料より)

横堀           幅のある堀切
  

近くの城・関連の城:東広瀬城御船城広見城