西三河/ 西尾城



ファイルNo0209

吉良氏西条城  江戸期西尾藩松平氏六万石の居城

             復元本丸丑寅櫓 

@ にしおじょう 
  別名 西条城・鶴城

A住所: 西尾市錦城町 
B目標地点:西尾小 
C形式:平城  D比高:ーーm 
E現況:城址公園

F遺構等:水堀・土塁・石垣
     ・復元櫓・復元門・石碑・説明板

G時代/人物:室町期〜江戸期/吉良氏〜松平氏
H満足度:
凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  5分


J撮影・訪問時期:
2002年04月・2022年08月

  

道案内  

まずは名鉄西尾駅を目指してください。西尾駅より西に伸びる県道383号線を進み、西尾小前の信号を越え、次の御城下の信号までの県道の左手側が城址公園です。
訪城備忘録

往時からの遺構の残存度は少ないようです。本丸虎口石垣と本丸表門丑寅櫓下の石垣が残るくらいな感じです。しかしながら、本丸丑寅櫓、埋め立てられていた本丸堀、二の丸御殿の門である鑄石門などが復元されています。無かったものを模擬建築するのではなく、江戸期の姿をできるだけ再現する形の整備の感じがすてきです。

2022年に久しぶりに訪城しました。2020年に二の丸丑寅櫓とそれに続く土塀、及び、二の丸にあったとされる天守の天守台石垣が復元されたものを見学しました。天守が二の丸にあるというのも珍しい城ですけど、天守台石垣をほぼ一から復元した(一部は発掘調査で出た石が使われているようです。)という城跡もあまりないかも。二の丸に1995年移築復元された旧近衛邸がありますが、その庭の玉砂利は円弧になってます。これは本来の馬出堀を表現しているとの事です。

城址碑
歴史

伝承では築城者は足利(吉良)義氏ということが言われているようです。戦国期は今川氏支配での守将在城、松平(徳川)氏支配では酒井氏が在城しました。徳川氏関東移封後は岡崎城に田中吉政が入り、西尾城は支城として田中氏の家臣宮川氏が西尾城に入ります。江戸期に入り何度か大名交代があり、最終的には(大給)松平氏6万石にて明治を迎えます。

復元二の丸丑寅櫓
現地説明板より(左上隅が本丸、その横が二の丸、下が姫丸)
本丸堀
本丸虎口石垣         復元鑄石門(ちゅうじゃくもん
  
復元二の丸丑寅櫓
復元二の丸丑寅櫓と土塀
復元天守台石垣
復元本丸丑寅櫓
移築/旧近衛邸<白い玉砂利は二の丸馬出を表現(戦国期)>
復元本丸丑寅櫓内部
表門石垣
復元本丸堀
復元本丸丑寅櫓(西尾市資料館・姫丸側から)
復元鑄石門
大手門跡       城下町の佇まい

近くの城・関連の城:東条城・大給城