西三河/ 山中城



ファイルNo0202

今川系の城普請と徳川系の城普請が残ります。

                        主郭下の土塁に囲まれた郭(虎口の変形馬出?)

@ やまなかじょう 
  別名  −−−−−

A住所: 岡崎市舞木町城山〜羽栗町 
B目標地点:     
C形式:山城  D比高:100m 
E現況:山林

F遺構等:郭・堀・土塁・説明板
G時代/人物: 戦国期/西郷氏〜松平氏〜今川氏
H満足度:
凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  5分


J撮影・訪問時期:2002年04月

  
城址碑

【道案内】  ←登城口   

岡崎市街地から国道1号線で来ると、名鉄山中駅前・山中小北の信号を右折し羽栗病院の大きな看板の先の田んぼ道に右へ入ると山すそに登城口があります。そこより徒歩20分程度です。



【現況・訪城記録】

西側の郭は対織田氏を意識した今川氏の築城形式の城(土塁は無い)、東側の郭は対今川・武田氏を意識した徳川氏の築城形式の城(土塁が巡り、馬出のような郭があります)と言われています。山の東側より登って来ると山腹に半円の土塁を持つ郭があります。この郭には北側からの道も合流しているようで虎口郭となりますが、馬出しの要素はあると思います。主郭については二段になっていますが、広い空間というほか、印象に残っていません。西側に下りていくと段郭が続き、土塁の無い確かに古い形の城という感じがします。


【歴史】

岡崎・山中を本拠とした西郷氏が築きましたが、西郷弾正頼嗣が松平信光に破れ、城を明け渡します。その後、今川氏の三河の拠点の城となります。永禄三年(1560年)に今川義元が敗死して松平元康(徳川家康)が自立し、山中城も松平氏の城に戻り、家臣酒井忠次が居城しました。天正十八年(1590年)に廃城となりました。


  
主郭
  
西側の空堀
現地案内板より
     
  

近くの城・関連の城: 岡崎城

          

西側の土塁の無い郭