西三河 三河山中城



ファイルNo0202


  主郭下の土塁に囲まれた郭(変形馬出) 2002年       

@ やまなかじょう 
  別名 

A住所: 岡崎市舞木町城山〜羽栗町 
B目標地点:     
C形式:山城  D比高:100m 
E現況:山林

F遺構等:郭・堀切・土塁・碑・説明板
G時代/人物: 戦国期/西郷氏〜松平氏〜今川氏
H満足度:
凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  15分


J撮影・訪問時期:2002年04月・2022年11月

  

道案内 ←駐車場

岡崎市街地から国道1号線で来ると、名鉄山中駅前・山中小北の信号を右折し県道324号線に入ります。羽栗の里の大きな看板の手前に城跡見学用の駐車場があります。県道を横断して少し先の右折し田んぼ道に入ると山すそに登城口があります。そこより徒歩15分程度です。この登城口は舞木口になりますが、登城道はここ以外に羽栗口、城山口、八幡口があるようです。羽栗口だけは見ましたが、うす暗く感じました。舞木口から登るのがいいと思います。

訪城備忘録

城跡が整備された聞いたので2022年11月に再訪しました。
西側の郭は対織田氏を意識した今川氏の築城形式の城(土塁は無い)、東側の郭は対今川・武田氏を意識した徳川氏の築城形式の城(土塁が巡り、馬出のような郭があります)と言われています。

山の東側より登って来るとまずは中腹の大きな郭があります。(その前の途中にも郭はありますが) この背後に片堀切があり、伐採されて見やすくなってます。その上、円弧の土塁を持つ郭があります。この郭には北側尾根郭群の道にも繋がってますので虎口郭となりますが、馬出しと標識は表記されていました。

主郭は二段になっていて、下の段は二の郭と表記されていました。主郭には説明板と城址碑があり、そこそこ広いんですが、二の郭の方が広く、西側は低い土塁があります。西側に下りていくと段郭が続き、中段に堀切、城域端は鞍部ですが、堀切と表記されていました。

中段の堀切の上の郭から北に進むと支尾根根元に堀切があり、一段高い所に郭があり、これが物見の郭かな? ただ、支尾根の先端にも郭があり、ここからは眺望が効きます。先端郭の下の斜面には竪堀の表記箇所がありますが、よくわかりませんでした。

二の郭・主郭の北側下は帯郭状になっていて、竪堀表記がありますが、こちらもよくわからんです。虎口郭(馬出)から主郭下北支尾根の郭群に行けます。大き二段の郭で、手前側の郭とその上との切岸段差が高いです。切岸直下に竪堀の表記がありますが、道のように見えます。竪堀としてはなんかわからんです。下の段の郭も広いんですがここら辺は整備されていないんか草が多いです。郭の先端、北側下に堀切があり、郭の西斜面に竪堀があります。この竪堀は見やすかったですが、写真にはなりませんね^^;。 整備されて前回は見落としがたくさんあった事がわかりました。

歴史
登城口(舞木口)

岡崎・山中を本拠とした西郷氏が築きましたが、西郷弾正頼嗣が松平信光に破れ、城を明け渡します。その後、今川氏の三河の拠点の城となります。永禄三年(1560年)に今川義元が敗死して松平元康(徳川家康)が自立し、山中城も松平氏の城に戻り、家臣酒井忠次が居城しました。天正十八年(1590年)に廃城となりました。


西尾根斜面中間の堀切(横堀にも見える)        西尾根城域端堀切(自然鞍部に見える)
現地案内板より
城跡遠望
県道から登城口と城跡遠望
  
登城道から左上    登城道中腹の郭    郭の入口から
       登城道      登城道上から最初の郭
北郭下切岸        登城道
北郭下郭から片堀切越しに背後の北郭上の郭を見る
片堀切
片堀切
北郭下郭全景 
北郭上の郭から片堀切越しに北郭下の郭
馬出と土塁 
主郭手前の登城道から主郭を見る
眺望
東郭       主郭下
眺望
主郭と城址碑
二の郭
現地案内板より
二の郭虎口と土塁
@   西尾根段郭   B
西尾根中腹の堀切(横堀にも見える)
西尾根城域端堀切(尾根鞍部の自然地形にも見える)
西尾根城域端堀切
二の郭北下支尾根の根元の堀切
二の郭北下支尾根の根元の堀切
二の丸下北下支尾根堀切手前の郭(けっこう広い)  
支尾根先端郭   二の丸下北側支尾根    先端郭下斜面
眺望
二の郭・主郭の北下帯郭
主郭北下支尾根の上の郭と切岸(切岸が高い)
主郭北下支尾根の下の郭
主郭北下支尾根の郭下堀切

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