足助陣屋 |
A 東加茂郡足助町足助 B国土交通省足助事務所
C平城
豊田市内より国道153号線で足助に向かい、足助大橋を越えて飯盛山の横を過ぎて、梶平の信号で右折し足助橋を渡り、旧道を横切り突き当たりに説明板があります。
F遺構等:説明板 G江戸期/本多氏 H満足度:凸
天和元年(1681年)、本多淡路守忠周(ただちか)が陸奥白河より五千石にて移封、陣屋を構え、明治まで続きます。 <現地案内板より> ここの本多氏の紋は立葵だから伊奈城発祥の本多氏と思われます。
J訪城:2002/04
八桑城(やくわ) |
A 東加茂郡足助町新盛 B新盛小学校 C丘城
豊田市内方面より国道153号線で足助に向かい、香嵐渓を過ぎさらに北上します。県道33号線との分岐の豊岡の信号を越え、県道344号線との分岐の久木も越え、さらに国道153号線を北上すると下八桑の八桑の信号に至ります。この右側が新盛小学校でこの一帯が城址です。新盛小学校と国道を挟んで反対側に八幡神社があります。ここも城内の一部という事になるようです。城跡遺構は国道の改良工事などで完全に消滅しています。
F遺構等:なし G戦国期/鈴木氏 H満足度:凸
史料には城主を鈴木甚五左衛門とし、天正二年に落城としているとの事です。 戦国足助七城のひとつ
J訪城:2004/10
今朝平古屋敷 |
A 東加茂郡足助町今朝平 B八幡神社 C丘城
豊田市内方面より国道153号線で足助に向かい、香嵐渓を過ぎ、西町・梶平・今岡・今朝平西の各信号を過ぎて国道153号線は左にカーブして足助川を渡る地点、県道33号線と分岐しる信号が今朝平です。この信号の右側尾根先端が今朝平古屋敷です。信号そばから八幡神社に登る道があります。(道は徒歩のみです。車は直下には止められませんので、県道33号線沿いの今朝平橋のたもとの電話BOXあたりに路上駐車するしかないです。八幡神社も城内のようです。郭跡らしい山側に入って見ましたが、けっこう長い郭跡が三段ありますが、城跡というより寺跡のように見えます。八幡神社には南北朝期、宗良親王の王子尹良親王(ゆきよししんのう)が袈裟を掛けたと伝わる「袈裟掛け石」という石があります。
F遺構等:説明板 Gーー期/原田氏 H満足度:凸+
詳細のわからない館跡です。史料には城主を原田権右衛門としているようです。この名は安代城などのも名前が出てきます。
J訪城:2004/10