伊賀 吹井氏城



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              空堀と土塁              

@ ふきいしじょう 
  別名 西出の構・吹井堡 

A住所:伊賀市予野
    旧:上野市予野

B目標地点:
C形式:丘城  D比高:20m 
E現況:山林

F遺構等:郭・土塁・堀・碑・説明板
G時代/人物:室町期/吹井氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  10分

J撮影・訪問時期:2025年05月

  

道案内 

名阪国道<国道25号線>の治田インタを下り、県道687号線を東に進みます。約2.5Km先、西出橋手前を左折します。約300m先の細道に左折し約100m先の右手丘が城跡です。入口に地元の方が設置された「吹井堡」の城址碑と説明板があります。

訪城備忘録

城址碑、説明板のところから斜めに入ります。主郭は民家のようです。東側と北側にL字に空堀と土塁が残ってます。民家の背後の郭部分はすごい竹藪で、空堀もなんとか歩けますが竹藪です。西側に堅堀のように落ちてますが、これは民家の方に向かって下りている感じです。北側背後の上部は現在は畑地で整地されてます。この先は台地ですので、往時になんらかの郭があったとは思えません。台地端を削り込んで作られた城館に見えます。

城址碑と説明板
歴史

吹井大三郎の城と伝わります。説明板には吹井大三郎は天正伊賀の乱以後は島左近に従い、慶長元年(1596年)、子の吹井藤七郎は伊賀を離れ石田三成の配下となり、慶長五年(1600年)の関ケ原の戦いで討死したと書かれてます。

土塁と空堀
城跡全景
  
東側の空堀から空堀の角
北側の空堀
北側空堀(土塁の上から)
北の空堀の上(現在は畑地)
西側の空堀(堅堀のように落ちている)
土塁

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