伊賀 岩脇氏城



ファイルNo3949


           主郭東側空堀             

@ いわわきしじょう 
  別名 高尾城 

A住所:伊賀市高尾
    旧:名賀郡青山町

B目標地点:酒屋バス停
C形式:山城  D比高:60m 
E現況:山林

F遺構等:郭・堀・堀切・堅堀・土塁
G時代/人物:南北朝・戦国期/岩脇氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  15分

J撮影・訪問時期:2023年06月

  

道案内 

亀山市より名阪国道(国道25号線)で来ると、伊賀(上野)市の上野東インタで下り、国道422号線を名張方面に進みます。約12Km先の国道165号線との交差点の青山羽根の信号で直進し木津川を渡り、県道29号線に入ります。約2Km先で右折し県道39号線に入ります。約12km先、高尾地区の奥まった所に「酒屋」というバス停(ここは高尾でも酒屋集落というらしいです。)があります。その地点で右折し県道693号線に入ります。すぐ橋でその後右カーブですが、その左手に元牛舎の建物があります。この下を奥に入ります。少し薮の小道を進み、牛舎を越えたあたりで右に登ります。最初は薮でですが、すぐに薮は無くなります。正面の斜面を直登し、さらに尾根先端から少し登ると城域です。

訪城備忘録

元牛舎と城跡のある尾根の間には小さな沢があります。昔は道があったようで、ところどころ道のようになってますが、とにかく尾根先端まで直登です。竹や木があるため直登に難儀することはないです。尾根先端に登り、しばらく尾根を登っていくと城域に入ります。

最初にやや傾斜のある西の空堀と高い西側の土塁が目に飛び込んできます。土塁を越えると主郭です。奇麗な削平ですが、北側が崩落したのか後世に耕作地として使われ、北側が切り崩されたのか、北側は不自然に土塁はない状態です。逆に南側はものすごい高い土塁で、尾根先端を削り込んで主郭が作られています。西側に虎口の開放があり、虎口土塁側面に石積みがありますが、遺構だろうか?

虎口を抜けると右上に明瞭な堅堀が見え、その先は相当に広い平坦地が広がります。この東の郭の南側には石積みが残り、この東の郭の東側にも段郭状の広い平坦地が何段かあり斜面には石垣もあります。旧耕作地とは思われますが遺構なら面白いです。

東の郭の南側から土塁の上を登って主郭の東側に向かいます。途中、土塁沿いにある東の郭の空堀と主郭の南側から東側に回り込む空堀が合流します。主郭の背後(南側)の土塁は高く、幅があり、土塁の上にも郭があります。この土塁の南側下に空堀が横たわります。山側の堀のため長い堀切とも言えますかね? 土塁の東南隅はやや掘り込んであるような空間もあり、ここに字が消えてますが伊賀恒例の城跡標識の青いプレートがありました。

東の郭は旧耕作地で遺構ではないのかもとは思ったりしますが、南側に土塁と空堀もあるため往時は大きさ形状が違っていたとしても郭であろうとは思います。主郭もしっかりしていて、副郭である東の郭もあり、主郭を囲む土塁と空堀も明瞭であり、伊賀の城跡の中では大型の城と言え、南北朝の築城つぃても、遺構は戦国のものでしょうね。

※県道39号線をもう少し南へ進むと県道沿いに突然セガ・ソニック像があります。これはこの上に別荘をお持ちだった方(故人)が設置されたものを2020年に遺族の方がお色直しをされたものとの事です。

歴史
登り口進入箇所

南北朝期、南朝方の北畠氏の家臣であった結城左近将監が築城したとされます。結城氏の子孫が岩脇氏とされます。


   主郭内土塁     主郭東側で東の郭の空堀と主郭の空堀が合流
主郭東側空堀から北側に落ちる(主郭東虎口外から)
  
主郭西側の空堀
主郭西側の空堀
主郭西側の土塁
主郭西側の空堀
主郭内と土塁
主郭内と土塁
主郭東側と虎口 
主郭東側虎口の石積み? 
主郭東側虎口から主郭内を見る  
主郭東側虎口 
主郭東側空堀から北側に落ちる(主郭東虎口外から)
主郭東外側削平地
主郭東外側削平地にある石積み
東の郭のさらに東側
東の郭のさらに東側と斜面石垣?
主郭東側郭空堀と土塁
主郭東側郭空堀と土塁
主郭東側で東の郭の空堀と主郭の空堀が合流
主郭東側空堀から落ちる堅堀
主郭東側から南側への空堀
主郭南側土塁上
主郭南側空堀
主郭南西隅土塁上の郭
主郭南西側空堀
主郭南西側空堀
主郭西側空堀を上から
 登りの箇所 
城跡遠望(県道39号線より)
県道39号線にあるセガ・ソニック像

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