伊勢 岩内城



ファイルNo3632


 主郭北側二重堀切の主郭下堀切を横から    

@ ようちじょう 
  別名 岩内御所 

A住所:松阪市岩内町
B目標地点:瑞巌寺
C形式:山城  D比高:80m 
E現況:山林

F遺構等:郭・堀切
G時代/人物:室町期/岩内氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  瑞巌寺から15分

J撮影・訪問時期:2020年01月

  

道案内 

伊勢自動車道の松阪インターを下り、インター入り口の信号で右折し県道59号線に入ります。約700m先の瑞巌寺入口の信号を右折し県道568号線に入ります。約200m先のY字を左手に進みます。約1.5km先谷間に下りて行ったところが瑞巌寺です。この寺の北側の山が城跡です。麓の瑞巌寺の東側(鏡池側)に登り口(金毘羅宮登り口の古い標識あり)から斜面を登ります。元は金毘羅宮の参道だったようですが、今は相当に崩れていてなんとか元は道やったんやというつづら道を登ります。金毘羅宮まで登ると後は北側斜面を一気に尾根まで登ります。麓から比高で80mくらいですかね 
訪城備忘録

岩内と書いて「ようち」と読むようです。北畠氏一族の岩内氏の居城で別名では岩内御所ともいうようです。麓に瑞巌寺というお寺があります。無住の寺のようですが、庭園が有名らしいですが、見てません。^^; 寺の橋のところに「小町石」という標識の付いた石があります。なんの由来なのかわからんです。城は寺の反対側の尾根頂部にあり、主郭は細長いL状の郭ですがとにかく狭い。主郭北側の堀切は二重堀切になっていて明瞭です。主郭東側斜面下に大きな堀切があり、その先の高まりは削り残しの大土塁状になっていて大土塁の先に頂部より広い郭があります。

瑞巌寺
歴史

永禄年間(1558〜70年)、北畠氏の一族の岩内主膳正光安の居城だったとされます。永禄十二年(1569年)、光安は北畠具教の大河内城籠城にも加わります。天正四年(1576年)、具教は三瀬館で信雄の刺客に殺害されますが、同時に信雄は田丸城に光安らを呼び寄せて殺害しました。

北側尾根の二重堀切の尾根側  東の尾根の堀切
瑞巌寺
小町石       寺から城跡側(城跡は見えません)
  
主郭北側二重堀切の主郭下の堀切
主郭北側二重堀切の尾根側堀切
主郭北側二重堀切の尾根側堀切から落ちる堅堀
主郭      主郭北側下堀切を上から
東側尾根堀切
東側尾根堀切
東側尾根郭     眺望(下は松坂インタ)
東側尾根の郭の尾根側削り残しの大土塁

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