紀伊 竹原八郎館



ファイルNo3586


              館正面(南側)              

@ たけはらはちろうやかた 
  別名 

A住所:熊野市神川町花知(はなじり)
B目標地点:花知神社
C形式:丘城  D比高:ーm 
E現況:神社

F遺構等:郭・土塁・堀(堀切)・説明板
G時代/人物:鎌倉末期・室町期/竹原氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  県道は1分

J撮影・訪問時期:2019年08月

  

道案内 

紀勢自動車道の尾鷲北インタを下りていったん国道42号線を進みます。約7km先の尾鷲南インタで熊野尾鷲道路に入ります。約26km先、熊野大迫インタで国道42号線に合流します。約8km先、熊野市の立石南の信号で右折し国道311号線に入ります。15km先「風伝トンネル」を越えた先で右折し県道40号線に入ります。約5km先で赤木城への県道765号線との分岐点です。そのまま県道40号線を進みます。約8km先で県道52号線と合流します。約8km先の道沿い左手、花知神社が城跡です。

訪城備忘録

花知集落の手前、北山川の河川段丘上という事になる台地に建つ花知神社が城跡です。北山川の対岸は和歌山県の飛び地になる北山村になります。 神社の三方を囲む土塁がきれいに残ります。東西南に堀(堀切)があったようですが、今は東側のみ残ります。北側は川の浸食により川に向かって自然の崖になってます。昔はこちらにも土塁はあったようです。 現在、鳥居が立つ虎口の右手が一段と高く櫓台であったかと推測します。けっこう山の中なのでアウトドアとかの趣味が無いとなかなか来ない場所ではありますが、自然豊かです。

説明板
歴史

築城時期は定かではないですが鎌倉末期から室町初期に竹原八郎宗親(宗規、宗矩とも)が築いたとされます。竹原八郎は元弘元年(1331年)、護良親王(もりよし)を熊野にお迎えし、伊勢まで攻めたとされます。南北朝期は南朝方として活躍したとされます。

南側土塁(外側から)    西側土塁(内側から)
  
東側北端土塁痕跡     東側堀(堀切)
南側土塁(内側から)        南東隅土塁
南側から

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