伊勢 波切城



ファイルNo3582

九鬼氏中期本拠地

                城跡遠望            

@ なきりじょう 
  別名 波切砦 

A住所:志摩市大王町波切
    旧:志摩郡大王町

B目標地点:大王岬灯台
C形式:丘城  D比高:30m 
E現況:公園・宅地

F遺構等:郭・土塁?・説明城址碑
G時代/人物:南北朝期/九鬼氏
H満足度: 凸+☆☆
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  観光駐車場から10分

J撮影・訪問時期:2019年08月

  

道案内 

伊勢自動車道の伊勢インタから伊勢二見鳥羽ラインを進みます。約13km先の二見ジャンクションで第二伊勢道路に入ります。約12km先、白木インタで右折し国道167号線に入ります。約30km先の信号を直進して国道260号線に入ります。約12km先、大王岬入口の信号で斜め左に入ります。約3.6km先が波切漁港で、その手前右手に大きな観光駐車場があります。(観光駐車場は駐車料金500円ですが、大王岬入口の漁港駐車場などは300円です。せまいけど漁港側の方が安くて岬に近い^^;)漁港沿いに右手に行くと大王岬への道になります。
 
訪城備忘録

訪城した日は台風接近で天候は快晴ながら波は高く、海岸に大波が打ち付けてました。「本日天気晴朗なれど波高し」の一文(秋山真之中将の名言)を思い出してしまいましたが。(笑) =城跡には関係ありません^^; 城跡は波切漁港沿いを大王岬灯台に向けて進みます。おみやげ屋さんを越えると左手は大王岬灯台、右手上が小公園に至りますが、この小公園が城跡です。

海にL字に突き出した岩盤の小突堤の上が(主)郭で一段下がったところも郭跡のようですが、遺構らしきものはないです。一段下の平坦地に説明付きの城址碑があります。主郭と一段下の郭の切岸及び土塁状があり、この切岸に石積みの痕跡のような石がありますが、どちらも遺構だったらいいけどなというレベルです。ただ、ここに九鬼水軍が集結(集結して船溜まりになっていたのは今の波切漁港でしょうけど)していたと思うとなんか気持ちが高ぶりますね(笑) 

また、波切漁港側にある仙遊寺には波切九鬼氏の五輪塔があります。この城は岬の突端部分の郭は残っていると言えるでしょうけど、ここは海の監視のための郭と思えます。居館は波切漁港近くにあったんじゃないかとも思えますので、城域がどこまであったのかわかりませんね。

説明付き城址碑
歴史

現在の尾鷲市九鬼町に九鬼城(今は遺構無)があり、南北朝期、ここの城主の九鬼隆長の弟の隆良が波切の豪族の川面道三の婿養子として入り城を築いたとされます。三代目の隆次、四代目の泰隆は加茂田城(現在の田城城)まで勢力を伸ばしました。五代目定隆を経て六代目が嘉隆となり、織田信長、豊臣秀吉に従い、文禄三年(1594年)、九鬼嘉隆が鳥羽城を築城し波切城より移りました。、居城を鳥羽城に移しました。嘉隆の出目ははっきりせず、一般的には定隆の子とされますが、定かではないようです。<仙遊寺説明板に加筆>

(主)郭下      (主)郭
土塁?
城跡全景を遠望
  
城跡下の岩礁     波切九鬼氏五輪塔
城跡から大王岬灯台と海
城跡西側の海と海岸線(宝門の浜)
岩礁に打ち付ける波
大王岬灯台
城跡北側の海と海岸線(須場の浜方向)

近くの城・関連の城:九鬼城 鳥羽城