伊勢 連部城



ファイルNo3390


                空堀            

@ つらべじょう 
  別名  

A住所:津市安濃町連部
    旧:安芸郡安濃町

B目標地点:村主南部地区集落排水処理施設
         南光寺
C形式:丘城  D比高:10m 
E現況:山林

F遺構等:郭・土塁・堀
G時代/人物:戦国期/家所氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  寺から10分
J撮影・訪問時期:2018年02月

  

道案内 

伊勢自動車道の津インタを下り、津市内方向に出てすぐの津インタチェンジ前の信号で右折し県道55号線に入ります。約1.2km先、殿村北の信号で斜め逆V字に右折し県道411号線に入ります。穴倉川沿いの県道を約5km先、右手が南光寺です。南光寺前から300m先を右折し400m先が排水処理施設です。ここの前を徒歩で左手方向に200mほど小道を進むと右手に入る小道があります。ここを奥に進むと城跡です。
 
訪城備忘録

河川段丘の先端部に主郭があり、北側から東側は川で北側の一部から西側に土塁が巡り、西側土塁の外側に空堀が横たわります。その西側も平坦地で副郭のようなものだろうか。 土塁の木に城跡標識がくくってありました。これはテンション上がります(笑) あまり期待しなくて訪城しましたが、なかなかに遺構が残ってていい城跡です。

今徳城は南光寺の裏手に城址碑があり、寺の北側の段丘端に空堀痕跡が残ります。

城跡標識
歴史

史料には織田信包が戸木城攻撃(永禄十二年(1569年)頃?)の際に家所帯刀に築かせたという記述があるようで、別の資料には豊臣秀吉が天正十二年(1584年)に木造城の木造具康を攻めるために家所帯刀正藤高に築かせたと記述があるようです。後者の方が可能性が高いんでしょうか。

今徳城
応永年間(1394〜1428年)に北畠氏の家臣の奥山平太夫貞兼が築城したと伝わります。永禄十一年(1568年)に織田信包に攻められましたが落城しませんでした。その後、織田信雄に属しましたが、天正四年(1576年)の北畠具教暗殺の際には従わず、その後の合戦で討死したと伝わるようです。

主郭土塁
排水処理施設越しに城跡        副郭だろうか?
  
空堀
土塁の上から空堀
主郭と土塁
       こんどく  3389
             今徳城  
←空堀の位置
                 南光寺裏手にある城址碑
@ こんどくじょう 
  別名  

A住所:津市安濃町今徳
    旧:安芸郡安濃町

B目標地点:南光寺
C形式:平城  D比高:10m 
E現況:山林

F遺構等:郭?・堀・石碑
G時代/人物:戦国期/奥山氏
H満足度:

I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  寺から5分


J撮影・訪問時期:2018年02月
 
空堀痕跡        南光寺

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