伊勢 五箇篠山城



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             城内最大の堀切(城域東斜面)               

@ ごかささやまじょう 
  別名 五ケ城 

A住所:多気郡多気町古江〜勢柄
    旧:多気郡勢和村

B目標地点:ゆとりの丘・ふるさと交流館せいわ
C形式:山城  D比高:80m 
E現況:山林・公園

F遺構等:郭・堀切・竪堀・土塁・碑・説明板
G時代/人物:南北朝期?/五箇氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  20分

J撮影・訪問時期:2018年01月

  

道案内 

伊勢自動車道の勢和多気インタを下り、インタ入口の信号を左折し国道42号線に入ります。約1km先の丹生の信号を右折し国道368号線に入ります。約6.5km先、朝柄の信号の50m手前で左折し約400m先がゆとりの丘です。、 
訪城備忘録

駐車場も整備され、ふるさと交流館せいわ・勢和図書館前から登ります。比高で30mも登ると尾根先端の郭に至ります。この城は連郭式の縄張りで尾根上に郭が配置され、要所で堀切があります。先端の郭は整備され土塁もよくわかり眺望も開けています。ここから東に尾根を進みます。すぐいコブ状の小郭が連続してあり、その間が堀切になってます。頂部手前の郭、頂部の郭の間にも堀切があり、頂部郭をピークに東斜面は下っていきますが、その斜面に頂部郭のすぐ下にやはり堀切を挟んで大きな郭があり、、また、その先は城内最大の堀切を挟んで小郭群があります。このように尾根上に郭が並び、各郭間は堀切で処理されますが、北側、南側は郭群を囲むように帯郭が巡ります。

麓の城址碑
歴史

築城時期、築城者は定かでは無いようです。史料に五箇景雅という名があるようで五箇氏はこの城が拠点であったようです。他の史料では南北朝期にこの城を仁木義長が攻めたという記録があるようです。一般的には北畠氏の家臣で野中氏の居城と言われます。
天正十年(1582年)、本能寺の変後、北畠具教の弟の北畠具親がこの城に立て籠もりましたが、織田信雄に攻められ落城し具親は伊賀に逃れたとされます。

尾根先端の郭と土塁    堀切      
山上からの眺望
  
尾根先端側斜面    尾根先端郭   
尾根先端郭
二重堀切
城域中間頂部郭手前の堀切
頂部郭東の堀切
東斜面堀切
東斜面端
堀切
堀切
堀切と郭

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