伊勢 水沢城



ファイルNo03195


              本堂裏手の西側土塁              

@ すいざわじょう 
  別名 加治信濃守城 

A住所:四日市市水沢町
B目標地点:常願寺
C形式:平城  D比高:ーーm 
E現況:寺

F遺構等:郭・土塁・(堀)・類似碑・標識・碑
G時代/人物:期/氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  3分

J撮影・訪問時期:2019年12月・2024年11月

  

道案内 

東名阪自動車道鈴鹿インタを下り、右手、県道27号線に出ます。700m先で国道306号線を横切り、県道560号線に入ります。3Km先でT字を右折し県道11号線に入ります。(2.1Km先、T字路を(左折は大久保城へ向かう方向)右折し県道11号線をそのまま進みます。(あるいは、新名神高速道路の鈴鹿PAのETCインタを下り、高速道路の反対側の県道11号線に出て、北へ向かいT字を右折します。) 約1.6km先の昭和橋で内部川を渡ります。約400mで左折し、約400m先で右折、約50m先を左折すると斜め右前が水沢小で、その手前に駐車場があります。これの左手約20m先が常願寺です。

訪城備忘録

2024年に再訪でした。2019年に訪城したんですが記憶に残ってませんでした。現在は常願寺の境内となっており、西と南に土塁が残り、城主を列挙した碑がありました。南側の土塁は高く、木々が植えられてます。西の土塁の外側には用水路が流れていますが、堀跡だろうか? 南東の端の鐘楼は櫓台跡のように見えます。

参道と城址碑
歴史

応永五年(1398年)、加治信濃守が築いたとされ、永享六年(1434年)に加治岩見守、寛正二年(1461年)に加治信濃守、文明十四年(1482年)に加治石見守、永正十三年(1516年)に加治三河守、天文七年(1538年)に加治孫九郎と続き、永禄六年(1563年)、織田信長の侵攻を受け、信長に臣従しました。元亀元年(1570年)に加治清十郎が城主になったが、天正五年(1577年)に死去し、加治氏は断絶したようです。 <城跡の類似碑より加筆>

境内内から     南側土塁  境内外の道から
城主歴碑       標識
  
常願寺
南側堀
西側堀
西側堀を外から
津田氏陣屋  4092  

@ つだしじんや A住所:四日市市水沢町  B目標地点:水沢小 三美福祉センター 南神地池
C形式:平城  D比高:ーーm E現況:公共施設
F遺構等:碑・説明板  G時代/人物:期/氏 H満足度:
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:3分 
J撮影・訪問時期:2024年11月

水沢小の北側の道、池との間の道を小学校の端まで行くと碑と説明板がありますが、遺構は無いです。

時期的には天正五年(1577年)頃かどうかは?ですが、加治氏、坂田氏が断絶後に織田信長か津田八郎五郎をこの地に入れ陣屋を構えたようです。天正十年(1582年)以降<小牧長久手の戦いの頃?>で、織田信雄から豊臣秀吉に内通したとの嫌疑をかけられて切腹を命ぜられたようです。


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