伊勢 稲垣城



ファイルNo2825


               主郭虎口             

@ いなかけじょう 
  別名  

A住所:津市白山町稲垣
    旧:一志郡白山町

B目標地点:萬福寺
C形式:丘城  D比高:20m 
E現況:山林

F遺構等:郭・土塁・堀・堀切
G時代/人物:戦国期/川原田氏
H満足度:
凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  寺から10分


J撮影・訪問時期:2013年08月・2025年06月

  

道案内    ←登り口

伊勢自動車道の久居インタを下り、国道165号線を西に進みます。約21.5km先、(あるいは、国道165号線で伊賀市(旧:青山町)の青山峠から入り、約9km先) 垣内の信号で県道664号線に入ります。約2.5km先の信号で左折し、約300m先を左折し、約200m先左前が萬福寺です。丘陵の先端が城跡です。しかし、寺側周辺から取りつくのはきついです。反対側に回り込んで谷筋がありますので、そこに入り、斜面を登ったほうが無難です。

訪城備忘録

南に延びた丘陵尾根の先端の西側が主郭で、東へ丘陵端に沿って段郭が並びます。主郭は分厚い土塁が周囲を主郭の東西に深い堀があります。南北にも堀が廻り込んでますが、後は急斜面になっています。主郭の西側堀の向こう側にも広い平坦地があり、北側下に堀があります。主郭内の西側土塁に沿って空堀のように深い堀がありますが、どういく役目なのかわかりません。主郭の東側に虎口が開いています。東側堀に土橋が架かり、その先の副郭には東側に土塁が横たわり、馬出しのようです。

この副郭下にも堀があります。堀は南側下で東西へ曲がってますが、堀としては消滅して帯郭のようになってます。尾根上は堀の先に二段の段郭があり、さらにその下に大きな郭があります。大きな郭の南端に上の郭から突き出した土塁があり、登り土塁のように見えます。そこからさらに小郭の段郭が何段かあり、その先は麓になります。主郭である館部分から、館城を発展させた感じの城です。

北側の谷を挟んだところに兵站地のような大きな平坦地があります。南側先端は浅い堀切があり、ここだけ防御を少し高くしている感じです。大きな平坦地の北東端にも唐突に堀が一部横たわります。その先は藪ですが、少し行くともう1条の堀があるようです。  さらに、大きな谷をはさんで出城である稲垣西城がありますが、日没であったので断念しました。

2013年の方が2025年に比べ草が少なかったようです。2025年は草木に悩まされた訪城でした。

城跡遠景
歴史

享禄2年(1529年)、川原田相模守実秀が築城したとされます。川原田氏は北畠氏の家臣で、実秀の子の隆秀の時に蒲生氏郷に攻められました。そのあとを岡本修理亮が居城とし、岡本氏も北畠氏の家臣であったようですが、その後は織田信雄に従い、さらに蒲生氏郷に従いましたが、天正十二年(1584年)、断絶したようです。

主郭土塁 
主郭東虎口の土橋から堀      主郭土塁      
  
東の大きな郭にある登り土塁風
東の次の郭と南の低土塁
副郭下の堀
副郭から下の堀を見る
副郭の土塁
副郭と正面土塁
手前副郭、堀を挟んで向こう側主郭土塁
主郭虎口(主郭土塁と土橋)
主郭虎口(主郭土塁と土橋) 2013年
主郭虎口(主郭土塁と土橋) 2013年
主郭虎口(主郭土塁と土橋)
土橋から北側に落ちる堀
副郭から土橋越しに主郭土塁
主郭内 西側土塁
主郭土塁
主郭土塁
主郭土塁
主郭南下堀
主郭下堀
主郭から堀越しに西端の郭    いつもの城跡標識    
主郭内
主郭内西側土塁の内側にある大きな窪み(用途不明)
主郭内西側土塁の内側にある大きな窪みが真ん中で西側土塁に食い込んでいる(用途不明)
主郭西側と西端の郭の間の堀
西端の郭から主郭土塁と堀
主郭西側と西端の郭の間の堀
西端の郭
西端の郭の北側下の堀
  
向こうの一段上がった所が稲垣北城
稲垣北城の堀切
稲垣北城の土塁と堀切
稲垣北城の郭内
後方の大きな平坦地      土塁     
平坦地北側の土塁と堀
    稲垣西城     稲垣西城登り口

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