伊勢 滝之川城



ファイルNo2822


             出郭の畝状堅堀           

@ たきのかわじょう 
  別名  

A住所:松阪市嬉野滝之川町
    旧:一志郡嬉野町

B目標地点:
C形式:山城  D比高:80m 
E現況:山林

F遺構等:郭・土塁・堀切・畝状竪堀・石積?・説明板
G時代/人物:戦国期/北畠氏(妙光院)
H満足度:
凸凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  登城口より15分


J撮影・訪問時期:2013年08月・2025年12月

  

道案内 ←城跡  ←登り口  ←説明板のある場所

伊勢自動車道の一志嬉野インタを下りて、料金所から左折し県道67号線に入ります。約2.5Km先の島田橋を渡った島田橋南の信号で右折し県道30号線に入ります。約2.5km先の十字路で右折します。約500m先で中村川を渡り左折します。約400m先で本線は右折しますが、ここに城跡への標識があり、城跡の登り口はそのまま直進し川沿いを約300mほど行くと舗装が無くなり、下り坂の先に小さな橋があります。ここを渡ってコンクリード階段を登り、登ったところで右手の山中に入ります。

説明板は登り口には無く、最後の城跡の標識のところを直進しないで右折し本線を進み、ゴルフ場、滝之川古墳公園側へ進みます。約500m先、古墳公園側に説明板があります。前回訪城時はボロボロの説明板でしたが新調されました。

訪城備忘録

コンクリートの階段を登りきると道はまだ続いていますが、その道を行かず右手に登ります。すぐに広い平坦地があり、往時は寺院の跡のようです。ところどころに石列が残り、石塔も残ってます。この平坦地の奥に支尾根を登って行きます。途中、巨石が張り出した箇所を廻り込んでさらに登ると最初の堀切のところに至ります。その上にはピーク(出郭)があり、このピーク北側下には明瞭な畝状竪堀が残っています。このピークを超えると、主郭のピークが見えます。最初のピークから見上げるとなかなかの風景です。主郭側斜面に石積みの痕跡らしい石列があります。

主郭下から反時計回り進むと、まずは北側下の堀切から上がり、北側には土塁を伴う郭が認められます。けっこうしっかりした郭です。西側に回り込むと大竪堀があります。この大堅堀の側面、石積みの跡のような個所もあります。主郭は南側に土塁を持った20m四方の規模です。主郭の北下にはLの字に土塁が巡る副郭があります。この北西下に大堅堀があります。大竪堀の向こう側、主郭西下にはやや削平が甘い郭と空堀が横たわっていました。 主郭西下の郭と南西の郭の間にも大きな堅堀がありました。南西郭から南下の郭に廻り込むと南側には高い土塁があります。その先の尾根は自然地形のようでもあり、郭のようでもありという感じです。主郭南東下の斜面にも大きな畝状竪堀があり、これも明瞭です。

2013年、縄張図など資料無しで行って遺構に驚いたものでした。もう一度見たくて2025年に再訪しました。前回に比べ、下草とかが無くてさらに見やすくなってました。季節なのか、整備されたのかはよくわかりません。ただ、城跡標柱の設置や説明板の新調がありますので整備はされているようです。

歴史
進入路の城跡標識

北畠氏の支城で城主として妙光院殿という名があるようですが詳細不明です。近くに森本城があり、ここの城主森本飛騨守俊重がこの城を詰め城としていたのかもしれません。


       副郭の土塁      主郭南下の畝状堅堀
登城口の橋
城跡遠望
現地説明板より
現地説明板
  
登城道
麓の寺院跡への虎口
寺院跡
最初の堀切
最初の堀切
最初のピークの北下の畝状堅堀
最初のピークの北下の畝状堅堀 
最初のピークの北下の畝状堅堀
最初のピークの北下の畝状堅堀 
最初のピーク(出郭)の郭の虎口状
主郭側から最初のピーク(出郭)を見る
主郭側を見上げる
最初のピークと主要部の間の堀切
最初のピークと主要部の間の堀切
主郭を見上げる
主要部東斜面の石列(石積み?)
主郭北東側下
主郭北東側下
主郭北側下郭
主郭北側下郭の土塁(この向こうに大堅堀)
大堅堀
大堅堀斜面の石積み痕跡?
大堅堀
大堅堀から主郭を見上げる
主郭
主郭土塁  
主郭北下副郭
主郭北下副郭と土塁
主郭北側下大堅堀見下ろす
主郭北西下郭?
主郭北西下空堀
主郭北西下空堀
主郭北西下郭と西郭の間の堅堀
主郭北西下郭と西郭の間の堅堀
西下郭から南下郭
南下郭土塁
南下郭
主郭東下畝状堅堀
主郭東下畝状堅堀
主郭東下畝状堅堀
主郭東下斜面と畝状堅堀
2013年訪城時
森本城  f1713
@ もりもとじょう  A住所:松阪市嬉野森本町 旧:一志郡嬉野町  B目標地点:神宮寺
C形式:平城  D比高:ーーm E現況:寺・雑木林  F遺構等:郭・土塁・堀・類似説明板
G時代/人物:戦国期/北畠氏(妙光院)H満足度: 凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:5分  J撮影・訪問時期:2007年05月


伊勢自動車道の一志嬉野インタを下りて、料金所から左折し県道67号線に入ります。約2.5Km先の島田橋を渡った島田橋南の信号で右折し県道30号線に入ります。約3km先を右折します。約100m先の右手が神宮寺でここが城跡です。

神宮寺の裏手に藪にはなってますが土塁や空堀の痕跡があります。神宮寺の説明板にに森本城の跡地に建てられたと記述があります。

築城時期は定かでは無いですが、南北朝後期?、木造顕俊(北畠顕能の子で木造氏初代)の子の俊重が築き、森本氏を名乗ったようです。森本氏の当主は代々森本飛騨守と称したようです。永禄十二年(1569年)、織田信長の伊勢進攻において、北畠具教とともに大河内城に籠城し、織田氏に対抗しました。天正十二年(1584年)の小牧長久手の戦いの前哨戦で森本一族が参戦したようです。天明八年(1788年)、城跡に神宮寺が移築されました。

空堀?
土塁?
神宮寺

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