紀州/ 赤木城



ファイルNo2489

小さな城ですが総石垣の城跡が残る

           主郭石垣  

@ あかぎじょう 
  別名 

A住所:熊野市紀和町赤木
    旧:南牟婁郡紀和町

B目標地点:
C形式:山城  D比高:20m(駐車場から) 
E現況:公園・山林

F遺構等:郭・石垣・堀切・碑・説明板
G時代/人物:戦国期/豊臣氏(藤堂氏)
H満足度: 凸凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  駐車場から5分
J撮影・訪問時期:2010年07月・2015年07月
            2019年08月

  

道案内  

紀勢自動車道の尾鷲北インタを下りていったん国道42号線を進みます。約7km先の尾鷲南インタで熊野尾鷲道路に入ります。約26km先、熊野大迫インタで国道42号線に合流します。約8km先、熊野市の立石南の信号で右折し国道311号線に入ります。15km先「風伝トンネル」を越えた先で右折し県道40号線に入ります。約5km先で県道765号線との分岐点で県道765号線に入ります。約1km先の田平子で右折します。約1.4km先の分岐を斜め左手に進んだ300m先左に城跡駐車場があります。 城跡前の小道を登って行くと県道40号線に合流できます。あるいは、城跡の最後に斜め左入った所を直進すると農免道路ですが、約1.2km先で県道40号線に合流します。<ここに城跡案内標識があります>

訪城備忘録

城域は小さいですが馬蹄形の縄張りに総石垣の城跡が残ります。まるでミニチュアの城を見てるみたいなんですが、一揆に対する威嚇のための城だったからでしょうか?それとも藤堂高虎が砦を作るついでに総石垣、桝形虎口をなろの縄張りを練習するために築いたんでしょうか?^^;(笑) 城跡は、東郭の門跡、主郭の桝形虎口、主郭周囲を巡る石垣群、西郭段郭の石垣と石垣が本当に美しいです。国史跡になってますので、整備の過程で積み直しはされていますが、山里の中の総石垣の城跡は神秘的でもあります。 北側下に戦国の城らしい堀切も残ります。ここは春秋に雲海の中の城跡が見られるようですが、私は夏しか訪城していないため、私にとっては夏の城です。夏場でも草木で石垣が見られないという事もないですし、県道40号線の高台から城跡を遠望することも可能です。また、近くに丸山千枚田という大きな棚田があります。段々の田んぼが斜面にずっと連なっています。日本の原風景なのかもしれません。城には関係ありませんが、道すがらですから一見の価値はあります。

           赤木城の風景 

主郭と城址碑
歴史

天正十六年(1588年)に豊臣秀長の北山攻めの際に秀長の家臣であった藤堂高虎、あるいは羽田長門守が築城したとされます。または、天正十三年(1585年)の秀長の紀州攻めの時には藤堂高虎はこの地に有り、城を築いていたともされます。高虎は文禄四年(1595年)に伊予宇和島に領地を拝領するまでこの地に関わっていたようです。北山の一揆は天正十六年以降なんどかあったようですが、慶長十四年(1614年)にもあり、和歌山藩浅野長晟がここに陣を張って鎮圧したとも伝わるようです。

 
城跡反対側斜面から城跡を遠望
城跡反対側県道40号線から望遠で遠望
  主郭虎口      主郭の北面石垣
現地案内板より       東郭より西郭
東郭           主郭
   東郭と眺望        主郭よりの眺望(東側)
東郭の石垣
東郭から主郭       主郭の石垣
主郭から西郭        西郭の石垣
北側堀切
主郭下石垣          西郭石垣(西側の沢を隔てて)
   南郭           東郭から主郭虎口
  
丸山千枚田
丸山千枚田
丸山千枚田
峠から熊野灘遠望      熊野の海岸  
赤木城の風景
城跡反対側斜面から城跡を遠望
城跡反対側県道40号線から望遠で遠望
城跡反対側県道40号線から広角で遠望
東郭下から石垣
東郭石垣端下から反対側の山を遠望
東郭石垣端下と反対側の山を遠望
主郭への虎口石垣と本丸石垣
主郭への虎口石垣と本丸石垣
主郭への虎口石垣
主郭への虎口石垣
本丸東側石垣
本丸東側石垣を堀切側から
本丸北側張出郭石垣
本丸北側張出郭石垣
本丸北側張出郭石垣
本丸北側張出郭石垣と眺望
本丸北側張出郭石垣と眺望
本丸北側石垣
本丸西側石垣
本丸南側石垣
西郭石垣
東の郭虎口
東郭石垣
西郭石垣を東郭より
城跡より県道方面眺望
城跡遠望

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