紀州/ | 赤木城 |
ファイルNo2489 |
小さな城ですが総石垣の城跡が残る
@ あかぎじょう |
道案内 | |||
紀勢自動車道の尾鷲北インタを下りていったん国道42号線を進みます。約7km先の尾鷲南インタで熊野尾鷲道路に入ります。約26km先、熊野大迫インタで国道42号線に合流します。約8km先、熊野市の立石南の信号で右折し国道311号線に入ります。15km先「風伝トンネル」を越えた先で右折し県道40号線に入ります。約5km先で県道765号線との分岐点で県道765号線に入ります。約1km先の田平子で右折します。約1.4km先の分岐を斜め左手に進んだ300m先左に城跡駐車場があります。 城跡前の小道を登って行くと県道40号線に合流できます。あるいは、城跡の最後に斜め左入った所を直進すると農免道路ですが、約1.2km先で県道40号線に合流します。<ここに城跡案内標識があります> |
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訪城備忘録 | |||
城域は小さいですが馬蹄形の縄張りに総石垣の城跡が残ります。まるでミニチュアの城を見てるみたいなんですが、一揆に対する威嚇のための城だったからでしょうか?それとも藤堂高虎が砦を作るついでに総石垣、桝形虎口をなろの縄張りを練習するために築いたんでしょうか?^^;(笑) 城跡は、東郭の門跡、主郭の桝形虎口、主郭周囲を巡る石垣群、西郭段郭の石垣、石垣が本当に美しいです。整備の過程で積み直し(石垣をよく見ると、白いやわらかい金属プレート(短冊状)が入ったところが多々あります。この上が積み直し、下がオリジナルらしいです。)はされていますが、山里の中の総石垣の城跡は神秘的でもあります。 北側下に戦国の城らしい堀切も残ります。ここは春秋に雲海の中の城跡が見られるようですが、私は夏しか訪城していないため、私にとっては夏の城です。夏場でも草木で石垣が見られないという事もないですし、県道40号線の高台から城跡を遠望することも可能です。また、近くに丸山千枚田という大きな棚田があります。段々の田んぼが斜面にずっと連なっています。日本の原風景なのかもしれません。城には関係ありませんが、道すがらですから一見の価値はあります。 赤木城の風景 |
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天正十六年(1588年)に豊臣秀長の北山攻めの際に秀長の家臣であった藤堂高虎、あるいは羽田長門守が築城したとされます。または、天正十三年(1585年)の秀長の紀州攻めの時には藤堂高虎はこの地に有り、城を築いていたともされます。高虎は文禄四年(1595年)に伊予宇和島に領地を拝領するまでこの地に関わっていたようです。北山の一揆は天正十六年以降なんどかあったようですが、慶長十四年(1614年)にもあり、和歌山藩浅野長晟がここに陣を張って鎮圧したとも伝わるようです。 |
赤木城の風景 |
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