伊賀/ 藤林長門守城
+藤山摂津守城+城ノ谷館+服部氏城



ファイルNo2152

             藤林長門守城の土塁状の丘陵

@ ふじばやしながとのかみじょう 
  別名 

A住所:伊賀市東湯舟
    旧:阿山郡阿山町

B目標地点:正覚寺・東湯船コミニティセンタ
C形式:丘城  D比高:15m 
E現況:宅地・林・田畑

F遺構等:郭・土塁・碑
G時代/人物:戦国期/藤林氏 他
H満足度: 凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  県道から2分
J撮影・訪問時期:2009年06月・2013年06月
              2021年04月


  

道案内   ←藤林長門守城の城址碑の位置

名阪国道(国道25号線)下柘植インタで下り、県道133号線を北上します。1km先の下柘植の信号で国道25号線を越え、すぐに関西本線の踏切を越えます。踏み切りから3.5km先の下友田大橋のところで県道133号線は斜め右です。さらに、800m先(鞆田小そば)で右折し県道673号線に入ります。1.6km先が県道50号の分岐点で、左折し甲賀方面に進みます。1km先で右折し県道51号線に入り、道なりに登り道を700mほど進みますと道が大きくS字カーブになります。左折した後右折になる正面が藤林長門守城、左手が藤山摂津守城、藤山摂津守城の裏手民家が城ノ谷館です。服部氏城は県道50.51号の分岐点から県道50号を500mほど進んだ右手の民家です。反対側に手力神社があります。
 
訪城備忘録

城跡は民家になっており、見学は遠慮せざるをえません。藤林長門守城は民家の背後が大きな土塁状になっています。また、東端は土塁でコの字に囲まれた箇所がありますが、城域なんでしょうか? 藤山摂津守城は茶畑であり、二段の郭が残り、東に土塁らしい痕跡があります。城ノ谷城は明瞭な土塁が残ります。服部氏城は個人宅のため、見学は不能です。

城址碑
歴史

藤林氏は伊賀の上忍です。藤林長門守は名を保豊、あるいは、正保と言うようです。百地氏、服部氏とともに三上人と言われるようです。第二次天正伊賀の乱では、甲賀の多々羅氏に内応、織田信長に与したようです。藤山氏、服部氏は土豪であり、共に天正九年(1581年)の天正伊賀の乱では雨乞山に立て篭もったようです。

藤林長門守城全景
藤林長門守城下の郭土塁    服部氏城遠景 
藤山摂津守城 
  
城ノ谷館 
藤林長門守墓所(正覚寺)     手力神社   

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