伊賀/ 千賀地氏城



ファイルNo1146

服部半蔵生誕の城

                              服部半蔵・藤堂采女生誕地の碑      

@ ちがちしじょう 
  別名 

A住所:伊賀市予野
    旧:上野市予野 

B目標地点: 
C形式:丘城  D比高:30m 
E現況:山林・公園 

F遺構等:郭・土塁 
G時代/人物:戦国期/千賀地氏
H満足度: 凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  10分

J撮影・訪問時期:2005年05月

  
土塁

【道案内】 

名阪国道<国道25号線>の治田インタを下り、県道687号線を東に進みます。2Km先の旧花垣小学校前を越え、1.6km先の県道686号線との分岐を直進します。<県道687号線をまだ進む事になります。> 50m先左手道沿いに小さな城址碑がありますので、この路地に左折します。40m先の民家横から入ると裏手に丘に登る階段がありますのでここを登ったところが城跡です。車は県道沿いの邪魔にならないところを見つけて駐車してください。



【訪城備忘録】

民家の横を通ろうとするとよく吠える犬に行く手を遮られますが、鎖は届かないのでご安心を・・・。 城跡は丘の先端に削り込んだ形で平坦地を作り出し、背後は段差のある切岸となり、その上に見張り台があったようです。 思ってた感じと違い、こじんまりとした城でした。



【歴史】

伊賀の忍者は服部氏も祖として、服部、百地、藤林の三家が上忍とされました。服部保長は京都にて十二代将軍足利義晴に仕えましたが、後に当地に入り千賀地氏称しました。保長の子の正成(半蔵)は三河に行き、服部に復姓して家康に仕えました。


<補足>
藤堂采女は服部氏の系統で、伊賀上野城の五代城代家老で元甫と言い、伊勢・志摩・伊賀三国の地誌である「三国地誌」を編纂した人物のようです。


  
主郭と背後の切岸
  
県道沿いの城址碑
        
  

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