伊勢 亀山城
亀山古城



ファイルNo1111

         修復後の多聞櫓と石垣

@ かめやまじょう 
  別名 粉蝶城
  /丹陵城・若山城(亀山古城)
 
A住所:亀山市本丸町
B目標地点:亀山公園。亀山市役所
C形式:平山城  D比高:20m 
E現況:公園・市街地

F遺構等:現存櫓・石垣・石碑・説明板
G時代/人物:古城:鎌倉期/関氏
       新城:戦国期/岡本氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  2分
J撮影・訪問時期:2001年10月・2004年08月
            2017年07月・2024年09月

  

道案内 

東名阪道亀山インターで下り、国道1号線を四日市・鈴鹿方面に入ります。すぐの太岡寺町の信号で右折し県道565号線に入り、市街地に向かいます。約4km先の右手亀山駅付近で斜め左に入りすぐの南崎の信号を左折します。約500m先左手が亀山公園で城跡です。 古城は亀山公園を通り抜けるとT字でこれを右折し県道647号線に入ります。150m先を右折(せまいかも)、あるいは、その10m先の路地(逆V字)に右折した20m先の空き地に城址碑と説明板があります。
 
訪城備忘録

主要城域の大半が破壊され市街地、公園になっています。本丸天守台の南面・東面石垣のみはよく残り、江戸期に天守台跡に建てられた多聞櫓が現存しています。<記述は「多聞櫓」と書いていますが、亀山城の場合は江戸期は「多門櫓」と記述されていたようです。> 多聞櫓は江戸期は武具庫、明治期は工場として使用されたようで、傷みがひどかったため、多聞櫓は下見板張りでの応急修理の状態で長く保存されていましたが、平成二十五年(2013年)に江戸期の漆喰の櫓に戻されました。 

江戸初期に天守は取り壊されたため、天守代用であった御三階櫓がありましたが、今は本丸(ますみ児童公園)の北側に碑があるだけです。本丸の東側は二の丸ですが、今は大半が小学校の敷地です。しかし、北側端の小学校のフェン沿いの外側にわずかに手付かず部分があり、説明板と二の丸御殿の礎石が残ります。この下へ埋め門跡があり、埋め門の側面に残存石垣がある感じです。下りると二の丸帯郭とされ、土塀が復元されてます。夏場に行くと草ぼうぼうでした。(笑) 

亀山古城(若山城)は、関氏の時代の城で、地表に明確な遺構は見えませんが、発掘調査では江戸期の遺構の下などに戦国期以前の遺構が現れるとのことです。以前は住宅地の背後の小高い丘は草ぼうぼうでしたが、ある程度草刈りしてあり、なんとなく城跡っぽくなってました。 なお、市内西町の遍照寺には二の丸御殿の玄関と式台の一部が移築されているとの事です。

さらに、近世亀山城の本丸と二の丸の間にあった(現在の亀山市役所の西側くらいの場所)石坂門の石垣が亀山歴史博物館の入り口近くに移設復元されています。

城址碑
歴史

文永二年(1265年)、伊勢平氏の流れの関左近将監実忠によって築かれ、以後、関氏累代の城であったのが古城です。元亀四年(1573年)、関盛信は織田信長に追放され、この地は神戸信孝の所領になります。天正十一年(1573年)、本能寺の変後の小牧長久手前哨戦で羽柴(豊臣)秀吉に落とされ、関盛信の子の関一政が一時城主になりました。

天正十八年(1590年)、岡本良勝<宗憲>が入り、新たな亀山城を築城しました。良勝は関ケ原の戦いで西軍に属したため改易となり、慶長九年(1604年)には関一政が復帰したものの慶長十五年(1610年)には移封され、その後も、江戸初期から中期前半までは城主が目まぐるしく交代しました。延享元年(1744年)に石川総慶が入封以降、石川氏が十一代続き明治維新まで続きました。なお、寛永九年(1632年)、丹波亀山城の修築を幕府より命じられた堀尾忠晴は間違えて伊勢亀山城の天守を解体してしまったと言われてますが定かではないようです。さらに正保年間(1644年から48年)に時の城主、本多俊次が天守跡に現在の多門櫓が建てました。

    埋め門     御三階櫓の碑
現地案内板より
  
修復後の多聞櫓
本丸側石垣と多聞櫓
本丸側石垣と多聞櫓
本丸側石垣
多門櫓と石段(矢穴があった)    多聞櫓入り口      
多門櫓内部
多門櫓内部
多門櫓内部
天守台石垣と多聞櫓
天守台石垣と多聞櫓
天守台石垣
 
天守台石垣
天守台石垣
本丸南面石垣の折れのある個所
本丸南面石垣
本丸南面石垣
     二の丸       二の丸御殿礎石
二の丸御殿平面図(説明板より)
埋め門
埋め門の石垣?     本丸の土壇(公園用)
二の丸帯郭と復元土塀
石坂門の移築復元石垣
石坂門の移築復元石垣
楠門碑       太鼓門碑
遊歩道から二の丸帯郭の復元土塀
本丸・二の丸の北下の公園池と遊歩道<往時は堀>
修復前の多聞櫓
修復前の多聞櫓
修復前の多聞櫓
多聞櫓の下から天守台石垣
多聞櫓の下から天守台石垣
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亀山古城  
亀山市若山町 (歴史博物館の下)
別名:若山城 訪城時期:2017年07月
古城城址碑       古城説明板
古城と推測される丘陵

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