伊勢/ 千種城



ファイルNo1082


                            主郭

@ ちぐさじょう 
  別名 城 

A住所:三重郡菰野町千草
B目標地点:
C形式:丘城  D比高:30m 
E現況:山林

F遺構等:郭・堀・土塁・石碑・説明板
G時代/人物:期/氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  5分

J撮影・訪問時期:2002年04月・2016年12月

  

道案内 

東名阪道の四日市インタを下り、国道477号線旧道を菰野方面に進みます。約5.5km先、菰野の信号を右折し国道306号線に入ります。 約1.6km先の潤田の信号で斜め左の県道762号線に入ります。約1.5km先で県道626号線を横切ります。200m先で左折し50m先を右折します。200m先、正面の丘が城跡です。いったん右折し、坂を登ると主郭です。
 
訪城記録

丘の下に説明板の石碑があります。主郭は大変広く、西側に大きな石碑があります。南側と西側、及び東側に土塁がありますが、東側は郭内に空堀が横たわり、土橋を越えたところに土塁があります。 なんか変な感じです。 東側、道を挟んで反対側の個人宅にも土塁が巡り、ここが出丸であったようです。南西側に搦め手に下りる道がありますが、「落ち武者街道」というかわいい標識が立ってます。


搦め手道
歴史

南北朝期に千種忠顕の子の顕経が築いたとされ、禅林寺城から居城を移しました。北勢四十八家を支配下としていましたが、弘治元年(1555年)近江の六角義賢に攻められ、この時の城主千種忠治は和議を結びました。永禄十一年(1568年)、織田信長の家臣、滝川一益が北伊勢に進攻してきた際、降伏し従属しました。その後、織田信雄に従い、信雄が没落すると豊臣秀吉に従いました。慶長二十年(1615年)、千種顕理は大阪夏の陣で討死し、千種家は断絶して城は廃城となりました。

主郭内から     虎口土塁     外側から
説明板と碑                  主郭城址碑
  
主郭内と土塁
主郭内から虎口
副郭の土塁と下から

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