伊勢/ 山本城



ファイルNo1080

      主郭土塁   

@ やまもとじょう 
  別名 

A住所:鈴鹿市山本町 
B目標地点:西岸寺の裏 
C形式:平山城  D比高:20m 
E現況:山林 

F遺構等:土塁・堀・井戸・碑・説明板 
G時代/人物:室町期/山本氏・横井氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  20分

J撮影・訪問時期:2004年06月・2018年05月

  

【道案内】 

東名阪自動車道鈴鹿インタを下り、右手、県道27号線に出ます。700m先で国道306号線を横切り、県道560号線に入ります。3Km先でT字を右折し県道11号線に入ります。1Km先、県道の左手に西岸寺がありこの裏手丘が城跡です。県道沿いの山の斜面に説明板があります。



【訪城備忘録】

寺よりは入りにくいので寺とは反対側から登ると楽に入れます。小規模ですが丘陵上に最初の深い空堀があり、これを超えて浅い空堀、低い土塁が巡る副郭、そして、主郭には三方に土塁が巡ります。主郭南側に空堀があり井戸も残ります。南側の張り出し土塁には石積みの痕跡もあるようです。北側下には張り出し土塁があります。近くには四日市の浜田城の城主(田原氏)の墓、あるいは、織田信孝の子の盛信の子の有信の墓があります。田原氏は浜田城落城時に、盛信は岐阜城陥落時に、いずれも山本に逃れたとされます。

2018年再訪しましたが、前回来た時より荒れている感じでした。城址碑も無くなっているようでした。

【歴史】

築城時期は定かではないようです。関氏の家臣として山本には村尾豊前守の名があります。山本氏は浜田城主田原氏の一族です。天正十年(1582年)以降は織田信孝に従いますが、天正十一年(1583年)に秀吉方の筒井順慶に攻められ落城しました。


   
  
主郭城址碑
  
南の空堀
  
最初の深い空堀
副郭側の浅い空堀       副郭土塁
主郭土塁
           主郭北側下    主郭北側下張り出し土塁
  

近くの城・関連の城:大久保城

          

県道脇の説明板       寺の反対側(北側)から城跡