伊勢/ 大久保城



ファイルNo1077

館城の堀・土塁遺構が明瞭な形で残り、見学もしやすい。

   主郭の土塁

@ おおくぼじょう 
  別名 

A住所:鈴鹿市大久保町中瀬古 
B目標地点:法雲寺のそば 
C形式:平城  D比高:−−m 
E現況:雑木林 

F遺構等:堀・虎口・土塁・碑 
G時代/人物:戦国期?/大久保氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  公民館から5分

J撮影・訪問時期:2004年06月・2018年05月

  
堀を挟んで二重の土塁

【道案内】 

東名阪自動車道鈴鹿インタを下り、右手、県道27号線に出ます。700m先で国道306号線を横切り、県道560号線に入ります。3Km先でT字を右折し県道11号線に入ります。2.1Km先、県道が右カーブになる手前で左折し大久保集落に入ります。300m先で右折したところが法雲寺ですがこの路地には車が止めにくいため寺手前の集会所(公民館)で止めて歩きます。寺の横が城跡です。



【訪城備忘録】 

集落内の小道沿いに唐突に城跡があるという感じです。集落の真ん中に周囲は家が密集しているのに城域のみぽっかりと空間になっているという感じです。小道の脇には土塁があり、それを越えると木々で見通しは悪いですが明瞭な空堀が横たわります。この空堀は堀底道であったようで中央に主郭への虎口があります。主郭北側が畑として利用されたとのことで現在は土塁などは残っていませんが、西側から南側にかけてコの字状で土塁が巡ります。この土塁の最高部は5mほどあり、けっこう大きいものです。その外側(南西側)には幅の広い堀があります。この中央の堀ともう一つの外側の堀の間の郭にも南西側に土塁が巡ります。

2018年再訪しましたが、時期もあったんかな荒れていた感じで前回より見にくかった印象で、城址碑もなくなっていたようです。(見つけれれませんでした。)

【歴史】

築城時期はわかりませんが、大久保氏は元々は関氏一族の峯氏の家臣団のひとりであったようです。天正十一年(1583年)にこの城の城主の大久保伊豆守は岐阜にて織田信孝方として豊臣秀吉方との戦いで討死し、城も廃城となったと伝えられます。


     
  
空堀
  
城址碑と虎口
  
南西外側の空堀
南西副郭と土塁      主郭空堀
主郭土塁と手前空堀
主郭空堀
主郭土塁上
  

近くの城・関連の城: 山本城  小岐須城