伊勢/ 采女城



ファイルNo1055

大きな空堀、多数の堀切、大きな郭と周囲を巡る土塁、見所満載な城跡

                            主郭背後の空堀(堀切)

@ うねめじょう 
  別名  −−−−−

A住所:四日市市采女町
B目標地点:内部川北側丘陵
C形式:平山城  D比高:30m 
E現況:山林

F遺構等:郭・土塁・堀切・井戸・石碑・説明板
G時代/人物: 鎌倉〜戦国期/後藤氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  10分

J撮影・訪問時期:
2004年05月
             ・2016年02月・12月

  

道案内 

四日市市内中心部より国道1号線で鈴鹿市方面に向かうと、鈴鹿市との境近く、内部川に架かる内部橋手前の内部橋北詰の信号を右折し内部川沿いを走ります。(反対側からですと県道8号線の貝塚の信号からの道です) 700m先の山側に碑があり、ここより登ったところに城跡はあります。
 
訪城備忘録

麓より5分も登ると主郭下の堀切に出ます。主郭手前は五の郭でその南西下には堀切、その先には六の郭、七の郭と続きます。主郭はこの周辺の城では大変広く周囲は土塁が巡り見応えのある主郭です。また、主郭中央には大きな井戸がありました。この城は驚かされたのは主郭北側の堀(堀切)です。北側の郭との間に幅10mはあろうかという大きな堀が横たわっています。二の郭にも土塁が巡ります。 さらに二の郭と三の郭の間にも長い堀切が横たわり、三の郭の西側に四の郭があり、各郭とも土塁が巡ります。主郭の南東側にも堀切を隔て八の郭があり、この郭の周囲には段郭も認められます。さらに主郭の東側下にも郭と思われる平坦地が確認できます。ここの城は他の四日市の城に比べ主郭を中心に南西、南東、北、西の支尾根に郭群が展開されています。元々は主郭のみの単郭城郭が戦国期に大改修されたと想像します。

城址碑
歴史

文治三年(1187年)に後藤兵衛基清が築いたとされます。その後、15代続き、永禄年間(1558〜70年)、後藤采女正の時に織田信長に攻められ落城しました。

2004年             主郭背後の堀            2016年
現地案内板より
主郭土塁
主郭背後の堀(主郭の二郭の間の堀)
  
左/主郭・右/八の郭の間の堀切を遠望
左/主郭・右/八の郭の間の堀切
主郭下堀切       五の郭手前の虎口
主郭手前堀切を下から
五の郭手前桝形        五の郭
主郭手前堀
主郭手前堀
五の郭の南下堀切
五の郭下堀切        六の郭と土塁
主郭と深井戸         主郭
主郭と土橋
主郭の二郭の間の堀
主郭の二郭の間の堀
二の郭と土塁
二の郭と土塁          二の郭と三の郭の間の堀
二の郭と三の郭の間の堀
二の郭と三の郭の間の堀
三の郭
三郭の東下土橋
四の郭手前        三の郭西下
左:九郭への虎口 右:四郭の虎口
四の郭
主郭と八の郭の間の堀切            八の郭
八郭の土塁          八郭の先の小土橋
2004年写真
主郭手前土橋                  堀切
主郭

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