伊勢/ 阿保城



ファイルNo0989

     主郭    

@ あぼじょう 
  別名 阿保頓宮

A住所:伊賀市阿保上ノ代
    旧:名賀郡青山町 

B目標地点: 
C形式:丘城  D比高:30m 
E現況:山林・畑地・墓地 

F遺構等:郭・虎口・土塁・堀・類似碑 
G時代/人物:室町期/阿保氏(安保氏)
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  5分

J撮影・訪問時期:2004年03月

  
阿保頓宮の碑

【道案内】 

亀山市より名阪国道(国道25号線)で来ると、伊賀(上野)市の上野東インタで下り、国道422号線を名張方面に進みます。12Km先の国道165号線との交差点の青山羽根の信号で直進し木津川を渡り、県道29号線に入ります。400m先で左折し、200m先で右折し県道29号線旧道に入ります。 <阿保の信号からは県道は300m先の阿保西町の信号で右折し、さらに、200m先で左折します。> 200mほど先に左折する路地があります。この左側の丘が城跡です。この路地の角に車を止め路地を100mほど歩いていくと右手の丘に登れる道がありますのでここに右折し坂を登ります。登りきった右手が主郭で裏手から入りやすいです。また、県道旧道を50mほど先に行き右手に下りた先に阿保親王陵があります。



【訪城備忘録】

周囲に土塁と堀が巡り北側に虎口と虎口の外側に副郭をもって主要部です。東側は雑木林、畑地、墓地などになっていて、土塁など城郭遺構的なものは見当たりませんが、この区域まではなんらかの城域だったかもしれません。



【歴史】

築城時期は不明で阿保氏(安保氏)が居城したとされます。天正十三年(1585年)に大和より筒井定次が伊賀に移ると家臣の岸田伯耆が三千石でここを支配したようです。


阿保親王<あぼ>(延暦十一年(792年)〜承和九年(842年))とは第51代平城天皇の第一皇子であり桓武天皇の孫にあたる人で、在原業平の父である人物。ここの阿保親王陵は阿保親王ではなく阿保の親王陵ということであり、第11代垂仁天皇の第9皇子にあたる方で息速別命(いこはやわけのみこと)の陵墓と伝えられるようです。阿保氏<あお>は息速別命の末裔と称していたようですが、定かではないようです。

  
主郭外側堀
  
主郭外側から土塁
  
  

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