道案内 |
亀山市より名阪国道(国道25号線)で来ると、伊賀(上野)市の上野東インタで下り、国道422号線を名張方面に進みます。12Km先の阿保の信号で左折し国道165号線に入ります。3Km先で県道2号線との合流交差点ですが、この1Km手前の国道沿い右手に自動販売機が何台も置いてある家があります。この販売機横に一人がやっと通れる路地が山に続いています。(家と家の間です) この路地を抜けてコンクリート階段を登り、少し登って左手側の上が城跡です。まっすぐ行くと大きな谷状地形です。登ると土塁が横たわっている箇所があります。ここに土橋があり平虎口を入ると主郭です。 あるいは、自動販売機の隣の民家の奥に茶丸神社に登る道があります。茶丸神社から登ってきた道と谷を挟んだ尾根に下りていくと城跡です。
あるいは、県道2号線との交差点を右に曲がり山すそを少し行くと善福寺です。ここより尾根に登り尾根伝いに先端方向(西方向)に歩いて行くと城氏城を通りいったん谷に下り再び登り尾根先端に主郭があります。この間約600mです。
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訪城備忘録 |
私は善福寺から尾根伝いに歩きました。雑木林の中を歩き城氏城を抜けて掛田城に到達しました。記憶ではすべて尾根伝いだったと思っていますが、地図をみるといったん谷間がありそこには細い道も麓からついているようですが記憶に残っていません。背後から城域に近づくとまずは浅い堀切状の箇所を越え、尾根先端に到達しました。主郭は尾根上というより一段下がった斜面を平坦地にした感じのところにあったと記憶していますが、尾根先端を削り込んで作られたと思われます。斜面と思っていたのは土塁だったようです。この城の見所は主郭内に7m四方を土塁が巡り穴蔵状の空間をもつ櫓台の遺構です。伐採した材木置き場になっていましたが、土塁の穴蔵のある櫓台というのはあまり見たことのないものです。
2017年再訪城しました。主郭は以前の訪城時に比べ各段見通しがききました。逆に土塁に囲まれた櫓台が藪状態になっていて残念でした。城域の西側の谷というか巨大な空堀状、こんな高低差があったとは。また、茶丸神社というのが尾根の頂部にできていて、そこへの参道ありました。以前はなかったと思うんだけど。櫓台にも神棚のような祠が置かれていました。15年以上経つと変わるんやな・・・。
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主郭背後の堀切
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築城時期ははっきりしていないようですが、戦国期、冨増伊予守が城主とされます。天正七年(1579年)の織田信雄の侵攻は防いだものの、再び、天正九年(1581年)に信雄に攻められ落城しました。
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