摂津 吉川城



ファイルNo4101


           西側の空堀             

@ よしかわじょう 
  別名 長棚城 

A住所:豊能郡豊能町吉川
B目標地点:吉川八幡神社
C形式:山城  D比高:130m 
E現況:山林

F遺構等:郭・堀・土塁・碑
G時代/人物:戦国期/吉川氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  八幡神社から20分

J撮影・訪問時期:2024年12月・2025年01月

  

道案内 

京都縦貫道の亀岡インタを下り、国道423号線を横切り、約800m先の信号で左折します。すぐに亀岡運動公園でここから約7km先、湯の花温泉西の信号で斜め左折し府道731号線に入ります。約2.5km先の本梅の信号で左折し国道477号線に入ります。約4km先が京都府と大阪府の県境で、そこから約7km先が野間稲地の信号です。さらに約1.5km先でいったん兵庫県川西市に国道は入ります。約2.5km先で再度大阪府に入り、坂を下った約100m先に信号があり、ここを右折します。約200m先を右折し、約300m先が吉川八幡神社ですが、廻りに駐車場がないので、車の場合は、右折しないでそのまま直進して能勢電鉄妙見口駅前の有料駐車場に停めた方が無難だと思います。駅から吉川八幡神社まで約1.5kmくらいです。
<国道の県境から約200m手前を左折したところにある廃業となった旧妙見の森ケーブルの黒川駅周辺は駐車スペースがあるので距離的には吉川八幡神社には近いかもしれませんが、何時までここのスペースで停められるかは不明ですし、自己責任で駐車してください。>

訪城備忘録

吉川八幡神社から登りますが、本殿を正面に右手方向に登り口があります。登り口には地面に落ちてしまっていますが「吉川城(1.5km)」という標識があります。比高で130mですので、1.5kmは無いと思います。20分くらいで城跡に到達します。途中途中に城跡案内標識があります。
城域は基本単郭です。主郭は丸い感じです。神社から登ってくると東側端に達します。主郭下周囲を帯郭と横堀との混在した空間が取り囲んでいますが、東側は堀切状でやや他より深いです。斜面には人頭程度の石が散乱していて石垣が崩れたようにも見えます。主郭には東側、北側の一部、西側の一部が土塁状になってます。主郭内はやや盛り上がった感じで、削平度は甘い感じです。西側下は空堀上になって南西側まで続いていて、南側は帯郭状です。北側は一部は空堀状ですが、帯郭状の削平地でした。主郭北側、やや東寄りに虎口と思われる開放部があります。石列があると資料にはありましたが、よくわからなかったです。西側の空堀の下に細長い帯郭状の削平地があり、標識には「西郭」と書かれてありました。 その下はおおきな鞍部でその向こうに登ると尾根が続いています。

この城は吉川井戸城が本城で、詰の城と言われるようです。
麓の吉川八幡神社には阪急電車の頭だけが三両分置いてあります。宮司さんが鉄ちゃんらしいです。(笑) 時期もあるんでしょうけど、妙見口駅から妙見山へ登られる方が多かったです。 同じような服装、靴でも城跡へ向かうのは私だけでした・・・(笑)

歴史
城址碑



1492年(延徳四年)、吉川長仲が築城したとされます。天正元年(1573年)、一族とされる塩川長満に攻められ吉川城の吉川貞満(定満)は滅亡したとされます。 この吉川城は山城の吉川城(長棚城)ではなく、吉川井戸城ではないかとされます。吉川氏嫡流が滅亡後、塩川長満の一族の吉川頼長が城主となり、次いで、天正四年(1586年)長満の子の吉川頼国が城主となりましたが、天正十四年(1586年)に豊臣秀吉によって塩川氏は改易され、吉川氏も同様であったようで、この頃に吉川井戸城、吉川城は廃城になったと考えられます。

東の堀切(空堀)      主郭の土塁
城跡遠望
八幡神社のそばの登り口      登り道         
登り道尾根途中
  
城域東下(切岸に石が多く転がっている)
東の堀切(空堀)
東の堀切(空堀)
東の堀切(空堀)と土橋状
東の堀切(空堀)を上から
主郭と土塁(東側)
主郭と土塁(西側) 
主郭土塁(西側)
主郭土塁(西側) 
主郭
西側空堀
南西側空堀と切岸
南側切岸
西の郭の標識
西の空堀
鞍部から城跡方向を見る
大きな鞍部
鞍部の先の尾根
城跡の鞍部側斜面
吉川八幡神社
神社にある阪急電車の頭
本殿
御神馬(ごしんめ)
御神馬(ごしんめ)
吉川井戸城 4110  

@ よしかわいどじょう A住所:豊能郡豊能町吉川  B目標地点:妙見口駅、西方寺
C形式:山城  D比高:50m  E現況:山林  F遺構等:郭・堀切・石積み?
G時代/人物:戦国期/吉川氏 H満足度: 凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:西方寺から8分 J撮影・訪問時期:2025年01月

国道477号線の妙見口駅への信号で入り、右カーブで山を迂回していくと妙見口駅ですが、その右カーブ途中に西方寺があり、その裏山が城跡です。←登り口

南西の麓から登るとすぐに堀切の痕跡があり、切岸を登ると細尾根があって郭があるという感じですが幅もなく郭の感じがしません。また、年代は判らない石積みの痕跡があります。天正元年(1573年)以降に石垣の城に改修されたという史料もあるようですので、それの石積みかもしれませんが。細尾根の先に本当に大きな堀切があり、尾根に不釣り合いな大堀切です。また、大堀切と南の堀切を繋ぐように尾根の南東下に細い帯郭があります。妙見口駅の向かいの有料駐車場の山側フェンスに「井戸城址」の標識があります。 尾根は妙見口駅側が削られて本来の山容ではないのかもしれません。また、古い資料には国道477号線の改良工事で城郭遺構が消滅しているという書き方もありますので、主要部は消滅しているのかも知れません。

歴史は吉川城を参照ください。

          切岸      何時の頃かの石積みと郭  
   郭       南下の帯郭
北側の堀切
北側の堀切
南側の堀切
           西方寺裏手     妙見口駅向かいの有料駐車場の城跡標識

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