和泉 高野山城



ファイルNo4002


                         四重堀切の内、主郭下二重分            

@ たかのやまじょう 
  別名  

A住所:泉南郡岬町孝子
    

B目標地点:高仙寺
C形式:山城  D比高:160m 
E現況:山林

F遺構等:郭・堀切・堅堀・土塁
G時代/人物:戦国期/ー氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  集落外駐車位置から30分

J撮影・訪問時期:2024年01月

  

道案内 

第二阪和道路(国道26号線)を大阪方面からだと深日ランプを下り、府道752号線(旧国道26号線・紀州街道)を和歌山方面に進みます。約3.2km先、孝子駅付近(駅から約200m先)で左折し南海電車の踏切を渡ります。約900m先、上孝子のバス停の先、第二阪和道路の下が広くなっているのでここに車を停めて集落に入り背後の高仙寺間で登ります。(比高50m) 本堂裏に高野山への登山口があります。つづら道を登って行くと高野山の頂上で、ここが城跡です。

訪城備忘録

つづらの道を登って行くと尾根先端の平坦地に至ります。城域は木々が高く眺望はよくないのですが、ここだけ東側の眺望がいいです、西側の木々を少し伐採していただくと関空方面も見えるだろうけどなぁ。^^; そのまま尾根を進むと主郭手前の郭(木々が多いです)を越えて主郭下の堀切・土橋に至ります。この堀切は主郭の西側あmで繋がり竪堀として落ちている感じで、この主郭西下は小郭があるように見えます。

土橋を越えるとすぐに高野山山頂の標識です。ここの左側はすでに主郭で南側から東側へ土塁が巡っている郭になります。東側の土塁は登山道になっているので、踏み固められたようになってます。高野山山頂の標識も南の土塁の上に立っていることになります。

主郭を越えると北尾根方向ですが、この尾根に四重堀切があります。四重といっても主郭下二重はわりと明瞭ですが、三重目、四重目は痕跡程度です。 さらに北に向かうと背後は高台になってます。比高で10mほどの高低差でピークは削平も甘い平場です。しかし、東側斜面には大きめの竪堀が二条落ちでました。見た感じもう一条ある感じにも見え、三条で畝状竪堀を形成している感じにも見えます。狭く、削平も甘い平坦地に、これだけの防御、それもわりと深く、長い竪堀・・・。 なにか違和感はあります。

戻り、主郭東下ですが、削平は甘いか長年の経年変化で土が流れたのかという地形ですが、こちら側にも小郭はあった感じです。

平成の時代に発見された城跡のようです。 遺構の状態は風化は激しいのかもしれません。

歴史
城跡標識

詳細不明との事です。 天正五年(1577年)、織田信長の紀州攻めに使用されたと推測されるようです。

主郭手前の堀切と土橋        主郭と土塁
集落より城跡遠望
城跡よりの眺望
  
高仙寺山門     登り口標識
主郭手前堀切と土橋
堀切と土橋
主郭西側下切岸
堀切から竪堀
高野山山頂標識と主郭土塁
 主郭土塁
主郭全景と東側土塁(登山道)
主郭全景と土塁
四重堀切を上から 
堀切を横から
四重堀切の上に二重分
四重堀切を下から(三重目と四重目は痕跡程度)
背後の高台の東側斜面竪堀@
背後の高台の東側斜面竪堀A
主郭背後四重堀切の一重目を二重目から見る
主郭下堀切(四重堀切の一重目)の西側
主郭下堀切(四重堀切の一重目)の東側
主郭東下(正面は主郭手前の郭切岸)

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