摂津 宿野城



ファイルNo3716


               主郭土塁             

@ しゅくのじょう 
  別名 撰見之館(えみのやかた)

A住所:豊能郡能勢町宿野
B目標地点:宝林寺
C形式:丘城  D比高:40m 
E現況:山林

F遺構等:郭・土塁・竪堀
G時代/人物:平安期?〜/田口氏
H満足度: 凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  宝林寺より5分

J撮影・訪問時期:2021年02月

  

道案内 

京都縦貫道の亀岡インタを下り、国道423号線を横切り、約800m先の信号で左折します。すぐに亀岡運動公園でここから約7km先、湯の花温泉西の信号で斜め左折し府道731号線に入ります。約2.5km先の本梅の信号で左折し国道477号線に入ります。約4km先が県境で、そこからさらに約2km先が倉垣橋の信号で、ここを右折し、府道732号線に入ります。約1.5km先、清正公前の信号で直進します。約5km先、中宿野の信号で右折し府道54号線に入ります。 約2km先で路地を左折します。<曲がり角に宝林寺の標識有> 約200m先のY字を斜め右に行き、約250m先が宝林寺です。寺前で右手に行くと墓地の駐車場でその奥が城跡です。

訪城備忘録

宝林寺の墓地の駐車場の南側すぐです。 斜面を登ると主郭の土塁の上です。主郭と南に副郭があります。南側に城外からの虎口がありますが、副郭から主郭への虎口とは位置がズレています。主郭虎口の側面に大石の石列がありますがこれって遺構?。 主郭の東斜面にあるのは大きくて長い竪堀と言われます。竪土塁の加工はされている感じですが、自然地形にも見えます。

土塁
歴史

多田満仲の弟の満快(みつよし)の子の満国が築き、撰見之館としたようです。鎌倉末期に田口頼基が改修し、その後、代々続いたようです。 天正七年(1579年)、織田信澄に攻められて落城したと伝わります。

    城の虎口      虎口から主郭の虎口(石列?)
城跡を駐車場から
  
土塁から主郭全景
主郭から土塁
竪堀の上部
竪堀の下部

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