河内 金胎寺城



ファイルNo3520


                 主郭           

@ こんたいじじょう 
  別名 

A住所:富田林市伏見堂〜嬉〜甘南備
B目標地点:金胎寺山・嬉町会館
C形式:山城  D比高:200m 
E現況:山林

F遺構等:郭・堀切・碑・説明板
G時代/人物:鎌倉期・南北朝期/楠木氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  30分

J撮影・訪問時期:2019年02月

  

道案内    

阪和自動車道の美原南インタを下り、国道309号線を南下します。約12km先、川西南の信号で右折し国道170号線旧道(東高野街道)に入ります。約6km先、近鉄汐ノ宮駅前の信号で左折します。約300m先で橋を渡って約100m先を右折します。約1km先、左に城跡の標識がある方へ左折します。100m先左手に嬉町会館という自治会館があります。案内には会館が使われていない場合は会館前のロープ手前に停めてOKとなってました。(敷地には入りません) 会館から案内標識に従い右手方向の金胎寺山登り口へ行きます。登り口の柵を開けて案内に従い山頂まで行きます。
 
訪城備忘録

登山道と主郭は草が刈られ整備されていますが、それ以外はすごい矢竹の藪でとても入り込めません。また、けっこう堀切の斜面が急で南西の副郭から延びる尾根の堀切は捕まる木もなくて上から見ただけで降りることを断念してしまいました。ただ、2015年頃までは道も整備されていない状態であったようで、地元の方のご努力で登山道を開けられ主郭を整備されたようです。そういう点では感謝しても愚痴るものではありません。

主郭城址碑
歴史

元弘年間(1331〜34年)に楠木正成が築城し、佐備正忠が入ったとされます。 あるいは、正平年間(1346〜70年)に楠木正儀、和田正武が築城したともされるようです。正平十五年(1360年)、畠山氏の持ち城であったようで、寛正四年(1463年)に畠山義就が寄ったが、筒井氏などに攻められ落城したとされます。文正元年(1466年)、復権を狙う義就が金胎寺城に陣をして烏帽子形城を攻撃したという史料もあるようです。明応二年(1493年)、畠山基家(義就の嫡男)の家臣の甲斐庄氏(隆成?)が在城したという記録もあるようです。 

南西側副郭から主郭    主郭東南下堀切
主郭東南下堀切を上から     南西側副郭先の堀切を上から
城跡遠望
主郭からの眺望
主郭からの眺望(遠くにアベノハルカス)
  
登城口      金胎寺跡
軍勢駐屯地       駐屯地横の登城道にある大石
途中から主郭方向       主郭北下郭
南西側副郭
主郭東側眺望(左:二上山・右:葛城山)と東下郭
南西副郭から主郭
主郭北側の眺望(龍泉寺城遠望)
東の眺望     東西尾根郭
龍泉寺城 2955
@ りゅうせんじじょう 
  別名:嶽山城(だけやま) 

A住所:富田林市彼方・佐備〜龍泉
B目標地点:かんぽの宿富田林・龍泉寺
C形式:山城  D比高:200m 
E現況:山林

F遺構等:郭?・碑・説明板
G時代/人物:鎌倉期/楠木氏
H満足度:
凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  20分


J撮影・訪問時期:2015年04月
 

城域にかんぽの宿が建ち遺構は残っていないようです。かんぼの宿から遊歩道を北へ行くと城址碑と説明板があります。

元弘二年(1332年)、楠木正成が築城したとされ、楠木七城の一つとされます。正平十五年(1360年)に細川氏清、赤松範実に攻められ落城したとされます。

楠木七城:千早城、、烏帽子形城、龍泉寺城、金胎寺城、下赤坂城、上赤坂城(の中で、小根田城と桐山城)

城址碑・説明板   龍泉寺付近

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