和泉 堺環濠



ファイルNo3334


                環濠の堀(南側)<土居川>            

@ さかいかんごう 
  別名 堺城 

A住所:堺市堺区南旅籠町東3丁目1
B目標地点:南宗寺・関口神社
C形式:平城  D比高:ーーm 
E現況:市街地・寺

F遺構等:堀・説明板
G時代/人物:期/氏
H満足度: 凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  ーー分(見学して廻る範囲で時間は異なる)

J撮影・訪問時期:2017年10月

  

道案内 ←南宗寺

阪神高速4号線の大浜インタを下りると中央分離帯のある府道195号線に合流します。約500m先の信号(国道26号線との交差点)の大浜北町の信号を直進して国道310号線に入ります。約1.2km先、宿院町東の信号を右折します。この環濠跡の区域を南北に通るわりと広い道路で、約800m先の左手が南宗寺です。
 
訪城備忘録

堺環濠は相当の広い範囲を堀で囲まれています。南宗寺はその南東隅くらいの位置にあり、範囲としては、南は土居川、西は土居川・内川のライン、北は府道187号線くらいまで、東は阪神高速15号線(堺線)/土居川公園くらいまでの範囲に相当するようです。明確に遺構と呼べるものは無さそうですが、諸所に石碑や史跡の案内があります。千利休屋敷跡今井屋敷跡、南の土居川はまっすぐな川で、いかにも堀という感じに見えます。南宗寺は三好長慶が父の元長の菩提を弔うために建立した寺で、長慶の像なんかもあります。それとは別に徳川家康の墓があります。戦前まで東照宮が建っていた(太平洋戦争の空襲で焼失)ところにありますが、家康は大坂夏の陣で死んだという伝説があるようです。なお、関口神社には元長の戦死の碑、顕本寺には元長の墓があるようです。

南宗寺椿之井戸
歴史

戦国期、自治を守る堺は環濠集落(都市)を形成していったようです。天正十四年(1586年)、豊臣秀吉によって環濠は埋められたようで、元和元年(1615年)の大坂夏の陣では堺の町は全焼してしまいました。江戸期に入り、天領となり、環濠も再度掘られ、碁盤の目のように道を通した現在の範囲の環濠集落(都市)が出来上がったようです。

千利休邸跡碑    今井屋敷碑
環濠巡り案内板
  
南宗寺甘露門(重文)     三好長慶像    
南宗寺
家原城 3333

@ いえはらじょう A住所:堺市西区家原寺町 B目標地点:家原大池公園  
C形式:平城  D比高:ーーm E現況:市街地・公園 F遺構等:堀・説明板
G時代/人物:期/氏  H満足度:  I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:1分
J撮影・訪問時期:2017年10月

阪和自動車道の堺インタを下り、堺インタ前の信号を右折し府道61号線に入ります。約4km先、大池前の信号で、ここを斜め右折し府道29号線に入ってすぐの左手に小公園的なスペースがあって、ここに城址碑と説明板、模擬の冠木門があります。なお、大池前の信号の左前が古城公園、右手が家原大池という大きな池で家原大池公園となります。

石碑と説明板しかありません。

築城時期ははっきりしませんが、信貴山城の支城であったようです。 松永久秀と三好三人衆が争い、永禄十一年(1568年)、三人衆方の三好政康に攻められ、この城を守備していた和泉衆の寺町左衛門大夫、雀部治兵衛尉の城将は討死し、城は落城したようです。

説明板と碑      説明板より

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