和泉 | 堺環濠 |
ファイルNo3334 |
@ さかいかんごう |
道案内 ←南宗寺 | |||
阪神高速4号線の大浜インタを下りると中央分離帯のある府道195号線に合流します。約500m先の信号(国道26号線との交差点)の大浜北町の信号を直進して国道310号線に入ります。約1.2km先、宿院町東の信号を右折します。この環濠跡の区域を南北に通るわりと広い道路で、約800m先の左手が南宗寺です。 |
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訪城備忘録 | |||
堺環濠は相当の広い範囲を堀で囲まれています。南宗寺はその南東隅くらいの位置にあり、範囲としては、南は土居川、西は土居川・内川のライン、北は府道187号線くらいまで、東は阪神高速15号線(堺線)/土居川公園くらいまでの範囲に相当するようです。明確に遺構と呼べるものは無さそうですが、諸所に石碑や史跡の案内があります。千利休屋敷跡、今井屋敷跡、南の土居川はまっすぐな川で、いかにも堀という感じに見えます。南宗寺は三好長慶が父の元長の菩提を弔うために建立した寺で、長慶の像なんかもあります。それとは別に徳川家康の墓があります。戦前まで東照宮が建っていた(太平洋戦争の空襲で焼失)ところにありますが、家康は大坂夏の陣で死んだという伝説があるようです。なお、関口神社には元長の戦死の碑、顕本寺には元長の墓があるようです。 |
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戦国期、自治を守る堺は環濠集落(都市)を形成していったようです。天正十四年(1586年)、豊臣秀吉によって環濠は埋められたようで、元和元年(1615年)の大坂夏の陣では堺の町は全焼してしまいました。江戸期に入り、天領となり、環濠も再度掘られ、碁盤の目のように道を通した現在の範囲の環濠集落(都市)が出来上がったようです。 |
家原城 3333 |
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