和泉 陶器城



ファイルNo3331


            向こうの土塁は主郭? 

@ とうきじょう 
  別名:北村砦・陶器陣屋・小出陣屋 

A住所:堺市中区陶器北
B目標地点:東陶器小学校
C形式:丘城  D比高:m 
E現況:公園・雑木林

F遺構等:郭・土塁・説明板
G時代/人物:鎌倉期/陶器氏
H満足度: 凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  2分

J撮影・訪問時期:2017年10月

  

道案内 

阪和自動車道堺インターを下り、堺IC前の信号を右折し、府道61号線を北へ進みます。約800m先の大黒橋の信号で右折し府道36号線に入ります。約4.2km先で右折します。500m先、東陶器小の裏、南面の道に左折します。100m先右手が東陶器公園でここの周辺が城跡です。
 
訪城備忘録

小学校の南側に東陶器公園があり、この南端にフェンスで区切られた箇所があります。立ち入り禁止ですが、フェンス越しに大きな土塁が見られます。フェンスに沿ってL字に土塁が残り、南西側が一段と高く、本丸土塁のだろうか? 土塁が残る箇所は土塁の周りに民家や幼稚園が隣接しており、よくぞ残ったという感じです。中に入れないのが残念です。

説明板
歴史

鎌倉末期、執権北条氏の臣、陶器左衛門尉の居城でしたが、元弘三年(1333年)、楠木正成勢に攻められ落城しました。南北朝期には北朝の拠点だったようです。戦国期にも使われていたようですが、城史は不明のようです。江戸期に入り、岸和田三万石小出秀政の四男の三尹(みつただ)が慶長九年(1604年)に1万石としてここに陣屋を設けました。元禄九年(1696年)、四代重興が亡くなり無嗣断絶となりましたが、二代藩主有棟の四男の有仍(ありより)が五千石旗本として再興しました。旗本小出氏の陣屋は別の所に設けたようですが、明治維新まで続いたようです。

土塁
復元図(明治期) 現地案内板より
  
楠の大木と土塁

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