河内 烏帽子形城



ファイルNo2956


               主郭東下横堀             

@ えぼしがたじょう 
  別名 押子形城 

A住所:河内長野市喜多町
B目標地点:烏帽子形八幡神社
C形式:山城  D比高:80m 
E現況:公園・山林

F遺構等:郭・堀切・土塁・堀・説明板
G時代/人物:鎌倉期/楠木氏
H満足度: 凸凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  20分

J撮影・訪問時期:2015年04月

  

道案内 

阪和自動車道の美原南インタを下り、国道309号線を南下します。約12km先、新家の信号で右折し国道170号線<新道>(外環状線)に入ります。約8km先、原町北の信号で左折し国道310号線に入ります。約2.5km先、河内長野郵便局前の信号で右折します。約250m先が烏帽子形八幡神社の参道下です。本殿横の野外トイレ横から登ります。
 
訪城備忘録

城跡は烏帽子形公園として整備されてます。頂部の主郭と主郭から南側の尾根に副郭があり、その主要部の東側から南側に帯曲輪状の郭が逆L字にあります。これらの郭群の東側下、さらにその東側下に横堀があり、主郭に近い横堀が切れたところが虎口で南側へまた横堀が続き、主郭南側下へ回り込んでいます。西側下には長い横堀が南北に横たわります。西尾根には堀切も残ります。 郭はさほど技巧的ではないんですが、横堀の使い方は技巧的で、今残る堀は深く明瞭に残ります。(整備されたからでしょうが・・・)

主郭
歴史

元弘二年(1332年)、楠木正成が築城したとされ、楠木七城のひとつと言われます。天文年間には楠木氏の一族の甲斐庄隆成が当主でしたが畠山定国に落とされ、碓井貞純が入りました。永禄五年(1592年)・元亀元年(1570年に畠山氏と三好氏が争い都度三好氏占拠されます。元亀四年(1573年)、甲斐庄正治が復帰しますが、天正三年(1575年)織田信場が河内を平定した後は織田勢力に取り込まれます。天正十二年(1584年)、豊臣秀吉の命を受けて中村一氏が城を大改修します。この頃、キリスタン禁制が発令されキリスタンであった正治は改易になります。その後、正治、子の正房は徳川家康に仕え、大坂の陣に際して旧領に復帰しあmすが、旗本では城の維持ができず元和三年(1617年)に廃城となりました。

主郭東下   横堀   主郭西側
主郭東下堀と土橋
  
現地説明板より
麓の烏帽子形八幡神社
主郭東側下
主郭東側下
主郭東側下
主郭西側
主郭西側
主郭西側
主郭西側
主郭西側
主郭西側
現地説明板より

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