道案内 ←登り口 |
大阪府富田林市方面から進むか、奈良県御所市から進むか、いずれにしても国道309号線で進みます。 奈良県から来た場合は国道24号線大和高田バイパス東室の信号で左折し、国道24号線をさらに進むか、大和高田バイパス太田南の信号から県道30号線に左折して進みます。 約9km先、国道24号線であれば室の信号で右折、県道30号線であれば名柄の信号で右折し、国道309号線に入ります。 名柄の信号から約5km先の水越トンネルを越えます。 水越トンネルの出口から4.5km先で左折します。(ここを通り越したら、250m先、水分のバス停付近で道はY字になり、右(ほぼ直進に近い)が府道27号線、左が国道309号線です。500m先の超勝寺のところで左折し、200m先のT字で、右折は道の駅ちさかあかさか・千坂赤坂村郷土資料館ですが、ここを左折します。1km先で先ほど国道309号線から左折とした道(左折から合流まで800m)と合流します。橋を渡り、200m先の右手に給食センターがあり、この前を左折します。200mほど先に登城口があります。
|
訪城備忘録 |
南北朝期の城と思っていたのと、交通の便が悪いんで、行かなかったお城です。遺構は戦国の城のものでした。なかなか見ごたえありました。 登城口の一の木戸からそろばん橋と呼ばれる土橋まで、当時のものか塹壕の城道が続きます。二の木戸、三の木戸は今でも関門という雰囲気があります。 そろばん橋は主要部に入る最後の関門という感じで、自然地形に手が加えられた堀切状の箇所にありました。 主要部の茶碗原まで登ると、左手が二の郭、右手方向が主郭方向です。主郭は砲台状に高い尾根の大地に大きな平坦部があり、千畳敷と呼ばれています。 西側から北側には幅のある帯郭が巡っていました。 ここの見所は茶碗原の南側下、二の郭の南、東斜面下にある横掘というか堀切ですね。 平坦部から堀底までの急な切岸、一部二重になっている堀切、なかなk見応えがあります。 思いのほか、各遺構の規模が大きく驚きました。正成の遺構と言うわけではないですが、楽しめる城跡です。
|
主郭城址碑
|
|
元弘年間に楠木正成によって築城されたものです。鎌倉幕府と対峙し、元弘三年(1333年)に水の手を切られ落城しますが正成は千早城にて抵抗を続けました。後、南朝系の城として存続しますが、延文五年(正平一五年・1560年)に北朝方に攻められ落城したようです。 城史としては残りませんが、城の遺構からすると、在地勢力の城として、戦国期に改修されたようで、戦国期までは使われたようです。
|