摂津/ 芥川山城



ファイルNo1594

一城別郭的な縄張りを残す、摂津で残存している城跡としては規模の大きな山城

                            大手石垣

@ あくたがわやまじょう 
  別名 
A住所:高槻市原
  (登城口は塚脇1丁目・黄金の里1丁目)

B目標地点:三好山・黄金の里老人ホーム・妙力寺 
      バス停/塚脇
C形式:山城  D比高:120m 
E現況:山林 

F遺構等:郭・堀・堀切・石垣・土塁・碑・説明板 
G時代/人物:室町・戦国期/能瀬氏・三好氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  登城口より20分
J撮影・訪問時期:2001年6月・2006年09月
             2016年02月

  

道案内 ←登り口

東名高速茨木インタを下り、国道171号線を京都方面に進みます。3Km先の大畑町の信号で左折し、県道115号線に入り、2Km先で名神高速道路をくぐり、1Km先で左に阿武野中学前の信号で右折し、南平台団地を抜け南平台小学の先、T字信号で左折します。1.6Km先、摂津峡入口で右折し芥川を渡り、1.4Km先、伏原のバス停前の信号で左折し住宅街に入ります。道をくの字で500m進んだところで左折し老人ホームまで進みます。老人ホーム前を過ぎ、すぐに右折し200m進むと「三好山40分」の標識があります。ここから登ります。付近は駐車スペースがありませんので注意ください。(あるいは、京都方面から国道171号線で来ると、高槻市内で国道が大きく左カーブした先の今城町の信号で右折し、県道6号線に入ります。県道は1Km先の清福寺の信号で右折し、500m先の殿町の信号で左折となります。殿町の信号から1.8Km先、高槻服部の信号を左折し、250m先の信号で右折し住宅街に入ります。)
 
訪城記録

ここの城は最初2001年に来たのですが、摂津峡に行ってしまい、東側の山でしたが、摂津峡側からは登れずで時間切れで断念した城でした。ただ、城跡案内板は摂津峡の北側入口(上の口)にもあり、ここからでも行けるようですが、駐車料金は摂津峡の駐車場利用になるようです。南側の登り口は三好山の南側住宅地を抜けたところからになります。登り口に「三好山40分」とありますが、比高は120m程度ですので30分くらいで主郭に到達します。この登り口から左手に水田・畑を見ながら登ります。7〜8分ほど進むと道は草木が多くなり畑も無くなります。さらに登ると「三好山25分」の案内板があります。この周囲には石垣がありますが、昔の畑跡でしょうな。この案内板から左手に登ります。右手にはあきらかに段郭があります。しばらく登ると右手に周囲を土塁で囲まれた郭があります。郭内は藪状態ですがこの郭はりっぱなものです。この反対側は斜面ですが、これもりっぱな竪土塁があります。この斜面は段郭状もなっていますが、あまりにりっぱです。遺構なんでしょうか? この周辺は東の郭(私の説明は東屋敷としました。)と呼ばれる区域のようです。ここより先には大きな堀切に土橋が架かっています。土橋も堀切も明瞭です。ここを越えると左手高台が出丸(私の説明は東郭群としました。)です。郭内はけっこう広く、南と西にL字に腰郭が巡ります。東側下に石垣が残ります。この先の尾根鞍部に城址碑があり、左手に降りて行く道があり、これが大手道です。この降りた先にりっぱな石垣が残ります。最近整備され見やすくなってます。 鞍部を過ぎると再度登りになり、左手から回り込むように登ると主郭下の帯郭に至ります。この辺も伐採などの整備が進んでおり、非常に眺望がすばらしくなっています。この上が主郭で、30*50mほどあるでしょうか。けっこう広いという印象です。主郭北側にも郭があります。主郭下に堀切土橋が残ります。ここも最近藪が取り払われ見やすくなっています。西側の西の郭、南西の田の郭です。田の丸を整備された道を下りて行き、途中から右手斜面に沿って進み、田の丸の南下に回り込むと大土塁とその手前の堀切にでます。大変明瞭で高い土塁と長い堀切です。大土塁の西側の郭も削平がしっかりした郭です。谷間にの大手道から再度南尾根斜面を登ると南尾根郭群があり、堀切及び石切り場が確認できます。石切り場には長方体の石も転がっており、城の時代の石切りだけではないようです。この城は東の郭郡と主郭周辺との1城別郭的な城の構成のようです。しっかりと遺構も残り楽しめる城跡でした。

東屋敷群の虎口
歴史

当初は永正年間に細川高国の家臣の能瀬頼則が築いたとされます。大永六年(1526年)細川高国と細川晴元との争いが置き、芥川山城は攻められ能勢氏は退去しました。その後、晴元方の城となっていて、天文十二年(1543年)頃に三好長慶の居城となったと考えられます。永禄三年(1560年)に長慶は飯盛山城に本拠を移し、芥川山城は支城として機能しました。永禄十一年(1563年)の織田信長の摂津侵攻で三好氏は破れ、芥川山城には和田惟政が入りますが、翌年高槻城を築いて移り、芥川山城は廃城になりました。

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東郭の石垣
大手石垣
田の丸南下の大土塁と堀切
現地説明板より
鞍部にある城址碑                        主郭と城址碑
バス停にある説明板                         摂津峡
2016年撮影            東の郭土橋          2006年撮影
現地案内板(主郭に設置)よりの復元図

  
主郭下からの眺望
主郭東下郭からの眺望

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