道案内 ←登り口 |
名阪国道(国道25号線)の針インタで下り、国道369号線を南下します。約16km先、五月ケ丘の信号でY字を国道369号線は斜め左を進みます。高架で国道165号線を横切った先に榛原トンネルがあります。トンネルを抜けて宇陀川にかかる猟路橋を渡った先の信号(五月ケ丘から約800m先)を左折します。(国道は369号線のままです。) 約3km先、(自明生活改善センサーから約200m先)を左折し内牧川にかかる橋を渡ります。道なりに約300m登り、右折して約100m先の左手民家の突き当りが登城口です。そこから伸びる細道は墓地に繋がっていて、その手前に斜め左に登る小道があり、そこを登るとすでに城域です。私はたまたま民家の方がおいでで許可をいただいて登城口(車庫の横)に車を置かせていただきましたが、最後の右折のところ付近に駐車した方がいいかもしれません。あるいは、麓の国道沿いのどこかかに駐車される必要があります。
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| 訪城備忘録 |
夏場でも下草が全くなく、上の民家横に停めさせていただければ比高も40mも無いので大変見学しやすい城跡です。宇陀の城跡もずいぶん廻りましたが、ここを見落としていたのはもったいないくらいでした。城跡はU字、馬蹄形に近い縄張です。南尾根と西尾根に挟まれた谷は居館跡です。
墓地に向かう小道を進むと左手に居館跡を見て、さらに先に墓地手前左手に堀切があります。その堀切手前に左手に登る小道がありますのでそこを登ります。すぐに南尾根遺構の先端になります。南郭は幅のある尾根で削平もしっかりしていますが、なだらかに傾斜はしてます。土塁は無いです。南郭の東下には外側に土塁を伴う空堀状があります。これは主郭北側まで繋がってますが、土塁があるのは南郭下までです。南郭の端くらいで、この土塁は虎口のような開口部がありますが、外側に城道のようなものは無く、斜面でした。南郭と主郭の間に大きな堀切があります。かっこいい堀切です。東側は空堀と繋がり、西側は堅堀状ですが、麓まで(居館跡まで)落ちてるわけではありません。
堀切を越えた頂部が主郭で。幅があり、南北に長い郭です。削平もしっかりしていて結構広いです。こちらにも土塁は無いです。主郭から北尾根側、北下に二重堀切があります。南郭の堀切ほどではないものの、こちらもしっかりとした堀切です。二重堀切の尾根側はやや小ぶりな堀切でした。この二重堀切の間はまなにか不完全な感じの地形でした。
主郭から西尾根側は、主郭と段差がある西郭があります。こちらも削平はしっかりしていて土塁は無いです。西郭の西下には奇麗な小さな堀切があります。堀切と言うより、塹壕のような感じがします。 ここからの西下、北下が複雑な地形です。西郭下堀切の北側から西下へ空堀が延び、もうひとつ北側へ落ちて、西下へ幅のある堅堀状が落ちてますが、これは城の遺構なんだろうか?あまりに大きいです。
馬蹄形の縄張で古い城郭にも感じますが、土木量はすごいし、城域の北西側の防御は半端ないです。遺構のパーツは戦国期と思います。
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居館エリア
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築城時期は定かでないものの、檜牧氏は沢氏の一族で、南北朝期に沢氏が沢城を築城して、その後の築城と思われます。ただ、遺構は戦国期の雰囲気ですから、相当に後なんかな? 沢城は永禄三年(1560年)に松永氏に攻められ落城してますが、檜牧城は自落のようです。、また、元亀四年(1573年)に沢氏が沢城に復帰しましたが、天正四年(1576年)頃には筒井氏に攻められ落城しています。この頃、檜牧城はどうだったかは不明のようです。。
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