大和 秋津城



ファイルNo4113


                            

@ あきつじょう 
  別名  

A住所:吉野郡下市町下市
B目標地点:下市町共同墓地・下市八幡神社
C形式:山城  D比高:30m 
E現況:墓地・山林

F遺構等:郭・土塁・堀切・城址碑・(説明板)
G時代/人物:南北朝期?/秋津氏
H満足度:
凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  墓地から6分


J撮影・訪問時期:2025年01月

  

道案内    ←登り口

名阪国道(国道25号線)の針インタで下り、国道369号線を南下します。約10km先の玉立橋東詰めの信号を右折します。約1.2km先のひのき坂北の信号を通過し、さらに、約1.2km先の西峠の信号で直進して国道165号線を越えます。約2km先の榛原の信号で右折し国道370号線に入ります。すぐ約100m先のY字を斜め左の国道370号線を進みます。約4km先、内原の信号で左折し国道370号線を進みます。約3km先が拾生の信号で右が道の駅宇陀路大宇陀です。ここからさらに約7.5km先の三茶屋の信号で右折し県道28号線に入ります。約9km先、河原屋西の信号で右折し国道169号線に入ります。約3km先の吉野大橋北詰の信号、さらに約5.5km先が国道169号線との交差点の土田の信号です。(ここから国道169号線を約8km進むと清水谷の信号でここを右折すると県道119号線に入り、約2.5km先が壺阪寺、さらに約3km先が高取城の裏手登り口です。) 土田の信号から約1.5km先の岡崎の信号で左折し国道309号線に入り千石橋で吉野川を渡ります。

岡崎の信号から国道309号線を進みます。千石橋南詰の信号から約400m先の戎神社前の信号で左折します。約300m先で道が二股ですが、直進右手方向を進みます。約200m先で下市町の共同墓地ですが、その最初の右手に公共トイレと若干の駐車場があります。ここより、墓の間を登っていき頂部が城跡主郭です。

城址碑は下市八幡神社にあります。戎神社前の信号を直進して約300m先左手が八幡神社の入口です。神社まで車で登れます。(駐車は数台が限度)

訪城備忘録

主郭には斜面に並ぶお墓の間を進ん登ります。主郭の北端側に開口部があり、そこから入りますが、主郭も墓地になっていてお墓が並びます。南側一段下が二の郭で、南端に低い土塁が巡ります。主郭北側下は堀切です。少し不完全な形になってました。この先の尾根も平坦地という事になるんでしょうか?、中央が一段高くなってます。いずれにしても北の郭という感じはしまsねんでした。 墓地の一角に説明板があったようですが、見落としました。

城址碑は下市八幡神社境内にあります。この神社敷地も城の一部という事ですかね?

下市八幡神社内にある城址碑
歴史

築城時期は不明です。平安末期この地に赴任し土地の名をとって秋津氏と名乗ったようです。 南北朝期には秋津守吉が南朝方として活動したようです。原因はわかりませんが、この城は永禄二年(1559年)落城したとの事です。(松永久秀の大和侵攻が永禄二年から始まっていて筒井城も同年に落城しており、この関連だろうか?)

二の郭
二の郭
二の郭南下腰郭
二の郭
二の郭
主郭土塁
主郭北側下堀切
主郭北側下堀切
北側尾根
下市八幡神社
下市八幡神社
下市御坊峯城 t4114

@ しもいちごぼうみねじょう  A住所:吉野郡下市町下市〜新住  
B目標地点:     C形式:山城  D比高:50m   E現況:畑地・山林
F遺構等:土塁?・堀切?  G時代/人物:戦国期/筒井氏  H満足度:
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:10分  J撮影・訪問時期:2025年01月

岡崎の信号から国道309号線に入り、千石橋で吉野川を渡ります。千石橋南詰の信号を右折します。約1.1km先、左手に倉庫があり、そこに逆Vで上に登る道があります。すぐに民家の前ですが、その前にさらに上に登る細道があり、そこを登り右手へ進みます。約200mほど進むと右手にお墓と桜の木があり、ここから奥に入ると城跡です。

郭内はほぼ畑地です。遺構はないです。資料には東下に堀切と土塁の一部が残るとあります。

天正六年(1578年)、城域の東麓にある願行寺を攻めるために築かれた陣城と伝わります。

今は畑地
眺望
北東下
彌三吉桜(やそきちさくら)

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