大和 八辻城



ファイルNo3952


           山頂東下の堀切             

@ やつじじょう 
  別名 桃俣城 

A住所:宇陀郡曽爾村掛・桃俣
    

B目標地点:八辻橋バス停
C形式:山城  D比高:200m 
E現況:山林

F遺構等:郭・堀切・二重堀切・説明板
G時代/人物:戦国期/桃俣三田氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  40分

J撮影・訪問時期:2023年06月

  

道案内    ←登り口

名阪国道(国道25号線)の針インタで下り、国道369号線を南下します。約16km先榛原区中心部の五月ケ丘のY字信号を斜め左、国道369号線側に入ります。約1km先、榛原トンネルの先、橋を渡ってすぐのT字信号左折します。約28km先、曽爾村の掛の信号の約1km手前、八辻橋のバス停、その横に小さな喫茶店が目印の地点に行きます。道路の反対側に水路を挟んで上に伸びてる道が二つあります。どちらからでもこの坂上の東屋に至ります。東屋の背後に八辻山の説明板があり、ここより登ります。

三重県名張市の国道165号線と国道368号線の交差点である蔵持町原出の信号を国道368号線で美杉方面に進みます。約30km先、奈良県御杖村の敷津の信号(道の駅御杖の前)で直進し国道369号線に入ります。約15km先が掛の信号です。(道の駅御杖の前の信号で左折しそのまま国道368号線を進むと三重県津市美杉の霧山城、北畠氏館に至ります。)

さらには、名張市内国道165号線赤目口の信号で県道543号線(途中から県道567号線)に入り南下します。約3.5km先の木戸口で左折し県道784号線に入ります。あるいは、国道165号線の夏見の信号で県道81号線に入り、南下します。この二つの県道は約22km先の付近で県道784号線はT字路にぶつかりますので左折し、約300m先が県道81号線に至りますので右折し県道81号線を進みます。約3.5km先が掛の信号です。

訪城備忘録

国道から坂を上るのですが、本来は右の民家脇から上がる道なんでしょうけど、左の一直線で登るコンクリート道を登ってしまいました。コンクリート道の終点の山の中腹に民家が一軒ありますが、その手前の右に東屋があります。この東屋の背後に登城道があり、登場口には説明板も設置してありました。1999年頃整備されたようで、古くなった木の階段が付いてます。ただ、登城道は荒れているという感じでもないです。比高で130mほど登ると90度折れしてまるで城門のような両サイド土の壁を通ります。その先にはまるで空堀のような窪地が登城道沿いに付いてますが、神社への旧の参道なんでしょうね。

麓から比高で159mで休憩所の建物に到着します。ここは緩斜面ですが相当に広い削平地となり、奥に神社がある区域と二段になってます。説明板にはここが城郭全体の主郭のように書かれてますが、この山上にこの広さ!というくらい広いです。城郭遺構では無いような気はします。往時に城郭施設があったとしてももっと狭いもんであった気がします。上段の削平地の真ん中に神明神社があります。神社の右手をさらに登っていきます。途中、また、90度折れし、城門のような箇所を越えます。これは林道敷設の際に出来たものなんでしょうね。ここを越えて左上に尾根を見ながら登ると左に折れた先で林道は下ります。この折れるところの左上が山頂(主郭)です。林道は90度折れた所で2/3崩落してましたので気を付けてください。

90度折れた林道に沿って左側尾根に小さな二重堀切があります。主郭の南下という事になります。主郭はごく狭い空間でしたが、気に城跡の標識が括りつけてありました。ここの城の最大の見どころは主郭から東尾根側にある深くて大きい堀切です。けっこうな深さでした。

さらに堀切を越えて東の尾根を進むと、尾根は削平地にも感じます。100mも行かないところで尾根はいったん5mほど落ち込みます。その先に小ピークがありますが、大人の腰くらいの薮になってます。足元が見えませんので注意してください。ここを抜けると前方に高くて急な尾根斜面の下に出ます。この横には土塁囲みのような大きな窪地があります。自然にできなものとは思えません。昔の山道の名残なんだろうか? 急斜面をピークまで登ります。ピークは主郭より標高は高いところになります。狭い削平地になってました。その先、東尾根側へ下りてまた削平地のような細長い平坦地があります。これらが城なのか?です。説明板はこちらが山頂部の主郭で、西側のピーク(八辻山山頂)は見張り台としてます。いくらなんでも山頂部主郭としてもせまいかなぁ。北斜面も急ですが20mほど下に削平地のような箇所があります。さらにその下の斜面を下り、やや左手方向に下りていくと神明神社の所に出ました。

休憩所のあるエリアはあまりにも広く山頂尾根とはアンバランスです。山頂尾根も西のピーク(堀切のある方)と東のピーク周辺のどちらが山頂部の主郭なのか判断付きません。いずれにしても監視の城ではないかとは思います。

歴史
登り口の説明板

築城時期などはわかっていないようです。在地土豪の桃俣三田氏の城とされ、永禄年間(1558〜70年)に北畠具教に攻められ落城したとされるようです。(現地案内板より)

二重堀切の一つ      山頂と標識
山頂からの眺望
国道からの登り口     最初の目印の東屋
登り口の説明板      登り道途中(まるで城門)
登り道途中<空堀のような地形は旧の参道?>
中腹の削平地にある休息場
  
中腹の削平地(非常に広い)
神社側から削平地を見る    神明神社     
山頂への道<まるで虎口のような地形>
二重堀切のひとつ(主郭下)    主郭北下     
主郭(山頂)の東下堀切(なかなか深い)
二重堀切を東から見る
主郭(山頂部) 
主郭から堀切を見る
主郭の東の尾根を進む
東のピークへの急斜面
土塁囲みの窪地に見える(旧山道??)
土塁囲みの窪地に見える(旧山道??)
東のピーク山頂     さらに東尾根
       上から      北斜面  下からピークを見上げる 

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